太田道灌はどういう人物なのか知らないのに、ちょいかじりの話を書いたので、インターネットで調べました。 室町時代後期に関東地方で活躍した武将で、摂津源氏の流れを汲む太田氏で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城し、武将としても学者としても超一流らしい。
山吹伝説というのは ある日、鷹狩に出かけた道灌はにわか雨に遭い、蓑を借りようと農家に立ち寄った。出てきた娘は花が咲いた一枝の山吹を差し出すのみであり、彼女の意図を理解できなかった道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出されたことに立腹しながら帰宅した。 後でこの話を家臣にしたところ、それは兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」に掛けて、山間の茅葺きの家であり貧しく蓑ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。 道灌は古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。
いゃー 参ったなぁ。 花より団子、団子よりお酒‥‥‥‥ 短歌や俳句は奥深いてものなんですねえ。 MBSの プレバト じっくり見よう。
画像は、太田道灌画像(大慈寺所蔵、伊勢原市指定文化財)
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