津井隆泉寺 |
宗教行事 |
![]() 村人の生活がかかっているから、背に腹はかえられないという勇断だったと思いたいですね。 古くから続いている隆泉寺の主な行事を書いてみます。 年末に新年用にお札を配る お正月を迎えるための準備として、お寺からお札が配られてきます。檀家それぞれの名前が書かれご祈祷されていることなのです。 仏壇や神棚に新年を迎える際に一番大切なことは、常に清浄でなければならないことですが、同時に生命力にもあふれていなければなりません。 そのために、毎年正月にお札やしめ縄を新しくしているのです。 3月中旬 御会式法要 (御開山会) 法華宗の全寺院では年に3回の御会式(おえしき)が奉修されます。こんにち私たちが頂いている御題目のご信心は、鎌倉時代にご出現された上行菩薩の生まれ変わりである日蓮聖人、その後の室町時代の日隆聖人、幕末から明治にかけての日扇聖人と、このお三方のご苦労のお陰で受け継がれてきたものです。 隆泉寺では日蓮聖人の御命日に近い日曜日を選んで法要を営みます。その法要は人御開山会式とよばれています。 4月 御法事 回り御法事(淡路島内法華寺が担当) 隆泉寺から住職、総代幹部や檀家の皆さんがお参りする。 7月17日 十七夜 陰暦8月17日の月。立ち待ち月。 本来なら旧暦の8月17日なのだが新暦の7月17日に行われるから、立ち待ち月ではないからヘンですが・・・・。 7月25日 虫干し 歴史ある隆泉寺なので、蔵から出して虫干して樟脳を入れて変えて格納します。 その間本堂に掛け軸などを吊り下げて虫干しすることになります。 午前十時頃から午後二時ごろまで (毎年7月25日と固定) 画像はその時の様子 10月 御会式法要 宗祖日蓮上人の命日(10月13日)の法要(その近日の日曜日に行われる) 隆泉寺の寺総代(役員)が関わる主な行事はこのぐらいですが、 法華宗の行事(一年間の行事)はもっとたくさんあるようです。 法華宗(本門流) http://www.hokkeshu.or.jp/ 日本の仏教 約8470万人が仏教徒であるとされる。(2013年統計) 伝統的な仏教の13宗は、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗。 幕末まで、日本は仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代でありました。 どっぷりと宗教色に染められてしまうのではなく、人の心、生き方を学ぶのにはどの宗教であっても良いと思っています。 |
一隅を照らす |
![]() 一隅(いちぐう)とは、今、あなたがいる、その場所です。あなたが、あなたの置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らして下さい。あなたが光れば、あなたのお隣も光ります。町や社会が光ります。小さな光が集まって、日本を、世界を、やがて地球を照らします。あなたの一隅から世界を照らしましょう!一人ひとりが輝きあい、手をつなぐことができれば、みんなが幸せになり、すばらしい世界が生まれます。 私の高校の恩師上田先生(平成24年9月没)のお墓がある洲本寺町の遍照院住職が、上田先生と私たちの長きに亘る師弟関係を寺報「遍く照らす」に載せて下さいました。 ⇒ これも仏教の教えなのですねえ。 法燈を灯す、という意味らしいです。 空間に燈明をひとつ置く。障碍がなければ世界は光で満たされることになる。どこにも影など存在しない。 このように、ブッダは一切の闇を光で照らした。 若いときにはお寺、宗教というものは人が亡くなった時にだけあるもののように見ていましたが、仏教用語などをみていると人として生きるあらゆることを見ているようてすが、それがお経という読経がもう少し意味が解りにくいところです。 もっと凡人に判りやすく説教するのが僧侶なのかも知れませんね。 この前は隆泉寺の主な行事を書きましたが (一般的な法華宗の行事をインターネットなどから参考にしたものです。寺院によっては違うようですが) 法華宗の行事(一年間の行事) 釈尊降誕会 (四月八日) お釈迦様の誕生した日を記念する法会。花で飾られた花御堂に誕生仏がまつられ、甘茶をそそぎながら祝うので、「花まつり」とか「灌仏会(かんぶつえ)」といいます。 立教開宗会 (四月二十八日) 1253(建長5)年4月28日。 日蓮聖人が千葉県天津小湊 清澄寺で「南無妙法蓮華経」の題目こそが末法の人々を救うことができる唯一の教えであるとされ、日蓮宗の開宗宣言されたことを記念する日。 春季(秋季)彼岸会 先祖供養の日で、彼岸期間中に僧侶が壇信徒の家を訪れて読経したり、人々は先祖の墓参りに行きます。 中日には、先祖供養の法要を行い、卒塔婆供養をしたりします。 盂蘭盆会 春秋の彼岸と並ぶ先祖供養の日です。寺院では施餓鬼供養が行われ、各家庭では精霊棚を設けて先祖の霊を迎えます。 盂蘭盆は一般に8月13日の夕方の迎え火から始まり、15日の送り火に終わります。 宗祖法難会 日蓮聖人の生涯で最も注目すべきことは、法華経を流布することによって、多くの法難をこうむったことです。 聖人自身「大難四度、小難は数知れず」といわれているように、その聖人の苦難の生涯を追想するために行います。 御会式 (おえしき) 日蓮門下の諸派などで日蓮の命日の10月13日等にあわせて行われる法要である。 新暦では11月21日となる。聖人の絵像を掲げて遺徳をしのび、報恩の法要を行います。 聖人が入滅されるとき、ときならぬ桜の花が庭前に咲きほこり、弟子の日昭上人が入滅を知らせる鐘をうち鳴らしたという故事にならって、桜の造花を美しく飾って万灯供養を盛大に行い、入滅の時刻には臨滅度時の鐘をうち鳴らします。 日蓮宗の寺には、境内に鬼子母神を祀る場合が多く、鬼子母神の祭りを兼ねる場合も多い。寺によっては花まつりではなく、お会式や千部会に稚児行列が出る場合がある。 釈尊涅槃会 2月15日はお釈迦様の入滅の日です。最後の説法の旅に出られたお釈迦様は、クシナガラ郊外でついに動けなくなり、弟子に沙羅双樹のあいだに床を敷かせ、そこに頭を北にして、西向きに横たわりになりました。 弟子や集まった人たちが嘆き悲しむのを慰めながら、その夜半に静かに涅槃に入られたといわれています。 その光景を描いた涅槃図を掲げ、お釈迦様の業績をたたえ、追慕、感謝するので釈尊涅槃会といいます。 宗祖降誕会 日蓮聖人の誕生を祝う法会。 1222(承応元)年2月16日に誕生されましたが、その日は、釈尊入滅の翌日にあたっています。また誕生の時、庭先で泉が湧き出し、浜辺には白い蓮の花が咲き乱れ、深海の鯛が岸辺に群れ寄ってくるという不思議が起こったといわれています。 ------------- 法華宗だけでなく、全ての宗教宗派は開祖された聖人などの生誕や命日などが宗教行事となっています。 これは仏教だけに限らず、宗教というものはそういうものなのですね。 宗教とは(池上彰さんが解説) http://www.summersunday.net/entry/2016/08/27/%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%81%EF%BC%9F%E6%B1%A0%E4%B8%8A%E5%BD%B0%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E3%81%A7%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97 宗教、日本で生活するうえで、宗教を信じていると言うと、なんとなく熱心な人だな、変わった人だな、という印象をもちませんか。 私は正直、自分は無宗教です、と回答するのが無難だと思ってます。 実家に仏壇はありますし、お寺などのパワースポットには行きたいです。 お正月は初詣をしますし、お盆は墓参りをします。 お葬式ではお経を聞くこともあります。 クリスマスはケーキ食べます。 人が幸せになるための宗教なのに、なぜ異教徒、同じ宗教なのに宗派争いが耐えないですが・・・・・。 |
檀家とは |
特定の寺院に所属している家のことを指します。 檀家とは、個人単位ではなく家単位というか先祖から受け継がれての檀家であります。 菩提寺である隆泉寺は、私たちの親達だけでなく、ご先祖さまも眠っているお寺ですから、お墓は粗末にしてはいけないと思います。 何百年も続いてきた隆泉寺(法華経に改宗寛永3年 1626年)が続いてきたのは、隆泉寺を支えてきた檀家という護持会員によるものです。 その支えというのは勤労奉仕もあるでしょうが、寺割という金銭によるものがあります。 寺割は先人の総代様方がいろいろな観点から決められたものですが、社会環境の変化や地球の活動期で東南海トラフ地震の警告など、財政問題が出てきましたが、政治はある時期「地方の時代」だといいながら「東京一局集中」へとまっしぐら。 不満を言っていても解決しません。何百年も続いてきた隆泉寺総代会の運営が、これからも続いていくことを考えるしかありません。 寺割を営利企業への支払い、ガス代電気代などと一緒に考えるものではありません。 墓守が家族のどなたかならば護持管理としての寺割を納めなくてはなりません。 「お布施」というものを理解しよう。 多くの方は、「坊主は税金を払ってない」と誤解されてますが、お布施等が住職の財布に入れば当然課税されます。 規模の大きいお寺はどの程度の収入があるかしっかり税務署に監視されています。 布施は「布施行」といって、自らの欲望を滅するための仏道修行ととらえております。 ですから僧侶は布施をいただいても、布施をした人に対して本来は礼をしなくともよいということになります。 隆泉寺はお布施は住職の所得ですが、大きな寺院に勤務している僧侶のなかには給料制もあります。 これはいわば契約のようなものですから、変えるつもりもありません。 「寄進」と「お布施」のちがい 「寄進」とは、寺院や神社などに土地や金銭、財物を寄付すること。 これはお寺のものになります。 隆泉寺は、宗教法人です。 お寺という宗教団体が国の法律により法人格をもったものです。 「宗教法人法」(昭和26年)。この法律により、法人格をもつときは、人間と同じように、自分の意志で行動できるようになります。 宗教団体が宗教法人となることにより、 @宗教法人である寺院が財産をもてる。宗教活動をすすめるうえにはどうしても財的な基盤が必要です。 檀信徒が提供(寄付)した浄財等を物的基盤として、境内地や境内建物が宗教法人のものであり、これが基本財産となっています。 これは、お寺の財産は住職のものでも、檀信徒(檀家)のものでもなく、法人の財産ということです。 A法人財産に対して税法上の優遇措置が講じられる。お寺の土地や建物などに課せられている固定資産税は、宗教法人が、宗教活動のために使用する境内建物および境内地については非課税です。 たとえば、檀信徒用の参詣駐車場については非課税ですが、寺の土地で月極め駐車場をすれば、課税対象となります。 B宗教法人であると国により公認され、広く社会的に公認される。宗教団体が宗教法人であることを行政庁が認知したという行政行為は、法人法で定める正しい手続きで所轄庁が確認し証明することとなり、社会認知されることになる。 宗教法人法 混乱してしまう法律かも知れませんね。それは宗教上に関する事項を規定しておりません。 憲法第20条で、信教の自由と共に政教分離を規定してます。この大原則にもとづき宗教法人法は制定されており、国家は、宗教団体に対して、どのような形においても調停したり干渉したりすることができません(宗教法人法第85条)。 これは国が宗教上の特性および慣習を尊重し、信教の自由を妨げることができないように留意する趣旨からくるものです(宗教法人法第84条)。 憲法の趣旨からくる尊重・自由の聖域と、法人法の趣旨からくる団体規則の俗域との二面性をもってます。 お寺は、この「宗教法人法」の規定に従い、その取り決めにより、各寺院が「寺院規則」を制定し、適正に行い、憲法に保障される聖域の部分は、曹洞宗の場合「宗制」という、規則を制定しその中で適正に活動しております。 つまり、お寺は、「宗教法人法」「寺院規則」を守り、「宗教法人法」で触れられない、「憲法」で保障された部分は「宗制」を守って運営していくのです。 ややこしいですが、このことを利用しながら政権をめざす政治家もいるのであります。 |
チョイかじりの仏教用語 |
信仰とお金 |
地獄の沙汰も金次第とは 地獄での裁きでさえ金があれば有利にできるという意味から、何事も金の力さえあればどうにでもなるということらしい。 「沙汰」とは、「裁定」という意味。 この世は(資本主義であろうと共産主義であっても)、「地獄の沙汰も銭次第」という、ゼニ、ゼニ、$,$,$・・・なんだわ。 それでも命ある者はいつかは死ぬ。 生きている間をどう生きるか、そして死後の世界があるのかないのか? そんなことを考えるのが「宗教」であったり、学問が「哲学」というものなんでしょうか。 二年前から隆泉寺の寺割を集める係をしています。 お寺というもの、宗教というのはナニ、そんなことを何も知らないでいることが恥ずかしくなって、いろいろネットなどから調べて書いているのですが、面白いというたら怒られますが、いつかは自分もお世話になるところなんですわね。 お金で物事を済まそうというのではないけれど、神社や寺院というのは日本人独特の文化だから、何百年何千年と続いてきたものだから、その一瞬の時代にいる人間だから、その仕組みの中で生きていくのが宜しいのでしょうねえ。 死後の世界ではないけれど、娑婆の今、次に書いているようなお金の話がでてきます。 (ネット上のパクリですが) お布施 僧侶へ読経や戒名を頂いた謝礼として金品を渡すことをいいます。 読経や戒名の対価という意味ではないと思いますが、お寺には住職がいますが、大寺院でない場合は僧侶を給料のような方式で置いていないので、僧侶の収入はお布施が基礎となっているのだと解釈しています。 お布施には、純粋な気持ちで贈る物質的、精神的な恵みをいうものが含まれています。 あまり実社会と同じ考え方では、宗教の考え方から外れてしまうので、本尊へお供えするという考え方をとっているのでしょう。 ご本尊とは宗教の信仰対象(仏像や掛軸)のことをさします。 住職も生きていくためには一人の人間なのです。 お布施を渡す時は、半紙に包むか、白封筒に入れ水引は掛けません。「御布施」と表書きをするか何も書かなくてもよいとされています。 お渡しする際は直接ではなく、お盆に乗せる形が好ましい。 お布施は気持ちでお渡しするものであり決まった金額というのはありません。 いくら渡せば判らなければ、親戚に尋ねるか、地域の誰かに聞くとか、葬儀社に尋ねれば教えてくれるでしょう。 寄進 「寄せまいらせる」の意で、寺院や神社に寄付を行うことをいいます。 寄進と宗教活動は密接な関係にあり、かつての寺院・神社は寄進無くして成り立ちませんでした。 米や農作物といった食料に加え、建物の改修資材やその労働力も、すべて寄進によって賄っていたからです。 人が生きていくうえで大切な宗教ですが、宗教活動自体は生産力を持っていません。僧侶は教えを説くことで人々を支え、信者や檀家はその教えをもとに僧侶を支えていたのです。 現代でも物品の寄進は盛んに行われていますが、寄進の多くはお金(お布施)になりました。お金の寄進(お布施)にも厳密な決まりは存在せず、いくら寄進するかは各自の考え方によります 寺割 日本では、遺骨を寺院が管理する墓地へ埋葬することが多く、代々お世話になっている寺院があるというのが一般的です。代々に渡って供養や法要をしてもらっている寺院を菩提寺といい、その菩提寺と関わりのある人のことを檀家と呼びます。 檀家はいわばその寺院の会員のようなもので、墓地を利用し、法要をしてもらえる権利を持っています。先祖が埋葬されているのでその寺院を維持管理するためには寺割を納めなくてはなりません。 個人単位ではなく家単位でなるものであり、家の墓が寺院にある場合は、その寺院の檀家であります。檀家になると、墓の管理や供養などをその寺院にお願いすることができ、代わりにお布施などで経済的な支援を行います。 また、寺院の新築・改築の費用や本山への上納金など、檀家であるから寺院の維持管理に経済的な支援は必須ともなります。 |
法事のいろいろ |
死者をどう考えるか、人間が死ぬことと犬など畜生と同じ動物と考えるのか、よく判らないけれど、最近のニュースで我が子を虐待して死に至らしめたり、生まれてスグ殺したりして死体とともに生活するなどと悍ましい事件を聞く。 私は二年ほど前からお寺の総代会の手伝いをすることになりました。 信仰心の薄い人間ですが、そんなことを言ってはおれないので、隆泉寺のことや法華経のことなどを調べたりしています。 宗教というのを難しく見るのではなく、亡くなったとき弔いを檀家の住職に助けてもらいながら、亡くなった人のこの世からの別れを、厳かに見送るというものだと思っている。 だから事件として、ニュースにあるようなことは日本人だけでなく、どんな宗教でも同じものだろうと思う。 うちの親父の養母(おばの養子となった)は私が小学校六年生の12月8日に亡くなった。 私の母親は1月8日、51歳という若死にでした。 親父は12月25日、年末年始の折込チラシの大忙しの時期でした。 年末や1月早々というのが特徴みたい。 先日親父の三十三回忌だったので、他の兄弟や親戚にはいわずに住職に拝んで貰って形だけの法要を済ませた。 自宅で拝んでもらう時に塔婆を書いてもらっていたのをお墓に持っていき、そこでも拝んでもらった。 人の死は動物の死と違うのは、法事(法要)をしながら亡くなった人を供養していく。 供養とは 死者の霊に供え物をして、死者の冥福を祈ること。 そこで、法事のいろいろを調べてみました。 初七日 死後最初に行われる法事。 葬儀の当日に、骨揚げしてから行うようになっている。 四十九日 仏教の世界では、死者はこの日に生前の行いに基づいて判決が下され、成仏できるか否かが決まると言われています。 そのためこの日は親しかった者が会し、故人が成仏できるよう祈る日と考えられているのです。 この四十九日が「忌明け」となり、香典返しはこの後に贈られるのが一般的となっています。 百か日 死後百日目に行われる法事のこと。一般的には遺族だけで行われる。 一周忌 亡くなられてから一年後に執り行われる法事。 初盆 亡くなられてから初めて迎えるお盆。 お盆はもともと先祖を供養する大切な儀式で、初盆は特に手厚く営まれることが多いです。 年忌法要 三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と続き、通常この三十三回忌か次の五十回忌で「弔い上げ」として法事を終了します。 一周忌と違い、亡くなられてからの満年数から一年ひいた年に行われるので、三回忌は一周忌の翌年ということになります。 71歳で亡くなつた親父より1歳長生きしたことになる。 この年になるとアト何年生きられるのか、いつまで生きているのか。 そんなことを考えると寂しいですねえ。 残された僅かしかない時間か知れないけれど、私には一緒に過ごせる楽しい友達がたくさんいる。 もう随分の友達が先に行きやがったけれどねえ。 |
日蓮聖人降誕八百年がやってくる |
日蓮聖人降誕八百年 ※降誕・・・・・・聖人・偉人・帝王などがこの世に生まれること。 寺総代会長をしていた友達が急逝したので、その後釜になってしまったのですが、信仰心が薄い会長で申し訳ないので、いろいろネット内で勉強されられました。 それで信心深くなったのではないけれど、私にも先祖もいるし親もいました。 人間はいつかは亡くなりますが、この世に存在していたことの証なのかも知れませんが、お葬式もしてくれるだろうしお墓にも入るでしょう。(たぶん)[(^o^)] 2021年(令和3年)には日蓮聖人がお生まれになられてから降誕800年の節目を迎えられます。 宗教とは(宗教の意味) 神や仏といった超自然的な存在に対しての信仰や、それにかかわる営みを指す言葉です。 神仏の教えを信じることで、安らぎを得たいとする心の働きのことです。 明後日28日はお盆前の墓掃除します。 |
御施餓鬼法要 |
お盆やお彼岸には、多くのお寺で「施餓鬼(せがき)法要」が営まれます。 餓鬼とは、亡くなった後に餓鬼道(がきどう)に堕ちてしまい苦しんでいる人たちに、お供え物をしたりお経を唱えたりすることで苦しみを癒してもらう行事です。餓鬼道に堕ちるのは、生前にむさぼる心を持っていた人や、卑しい行為をした人とされています。施餓鬼は、常に飢えと渇きに苦しんでいるとされる餓鬼に施しをすることで、自らの徳につなげるのがねらいです。 施餓鬼の解釈や、施餓鬼が行われるかどうかは、宗派やお寺の方針によって違うそうです。 施餓鬼とはお盆に限らず他の年中行事と一緒に行われることが多い。 隆泉寺ではお盆の8月15日午前8時から御施餓鬼法要が行われます。 淡路島内の法華寺が輪番で担当する同末大法要が毎年4月に行われますが、そのとき1年前に家族が亡くなった場合は、同末大法要(ご法事)が行われているお寺へ施餓鬼に参加します。 お盆に施餓鬼を行うお寺が多いのは、お盆の時期は「地獄の窯のフタが開き、亡者がこの世に降りてくる」とされていることに由来するそうです。 懐かしい先祖とともに、餓鬼道に堕ちた者たちもこの世に訪れるため、先祖と一緒に餓鬼の供養をしようということで、施餓鬼が行われるのです。 お盆はもともと「先祖だけではなく餓鬼にもお供えをする」ものでした。 施餓鬼法要に出ることになったら、お布施を用意しましょう。お布施の金額は、3,000円から1万円ほどが相場だそうです。お布施を入れるための袋は、白黒または黄色に白の水引がプリントされた不祝儀袋か、たんに白い封筒を使います。表書きは「御布施」とするようです。 施餓鬼は、法要といえどもお寺の年中行事の一つですから、喪服を着なくても構いません。普段着で十分ですが、黒、グレー、ブラウンといった落ち着いた色味の服を選ぶとよいでしょう。 自分の先祖だけではなく、普段は供養の対象とならない餓鬼にも施しをするのが施餓鬼です。 あまり信仰心のない人間ですが、子供の頃からの同級生だった前任者が急逝して、そのあとを受けて総代会の会長をしていますが、知らないことばかりなので調べていくうちに、仏教というのはなかなか素晴らしいものだと思います。 |
御会式法要 |
今度の日曜日、隆泉寺では午後二時より「御会式法要」が行われます。 御会式(おえしき)とはナニ? 法華経の宗祖日蓮大聖人の命日が10月13日(弘安5年・1283年)なのです。 その御命日に営まれる法要を御会式というのだそうです。 隆泉寺の本山本能寺では、前夜に御会式逮夜法要、当日に御会式御正當法要が営まれておりますが、隆泉寺ではその(10月13日)に近い日曜日に御会式を行うことにしています。 宗祖日蓮聖人が南無妙法蓮華経を弘められたのは、生み育んでくれた父母と、法華経に導いてくださった師匠と、日本の国土からの恵みに対して恩を感じ報いるためでした。 宗祖誕生会(しゅうそたんじょうえ)というのがありますが、日蓮大聖人のお生まれになられたのが(貞応元年・1222年)2月16日なので、隆泉寺ではどちらも御会式と言っておりますが、本当は生誕と入滅と分けて呼ぶのが正しいのでしょうが、まぁ信仰心というのも人様々だから、役員の方が檀家に「会式」という伝え方でこうなったのかも知れませんね。 檀家の皆様から御灯明銭として、五百円を集めさせていただいております。 そして御会式後には檀家の皆さんに祀っていた餅を切り餅として配ります。 面倒なようですが、そういうものも宗教のひとつの行事なのでしょう。 |
宗教とは何? |
宗教とは何? そんな難しいこと考えなくてもよろしい(^_^) 神や仏といった超自然的な存在に対して、信仰心というのは「人は神仏の教えを信じること、安らぎを得たい」とする心の働きのことだそうだ。 死とはどのようなものか 人生の途中で、生ということを満足にわかっていないものには、死は考えても理解できない。 生きることはよく旅に例えられるが、それなら死ぬことは目的地になる。 目的地がどこかを知らなければ、よい旅をすることはできないのと同じように、死が何かを考えなければよい生き方もわからない。 |
地方消滅とお寺 |
人が住むところが村、群(邑)がるから津井村があり、町になり市となった。 社会現象というか、東京一局集中は地方の人口減少問題となり、「地方消滅」ということにまで進展してしまいます。 半年ほど前の毎日新聞社説に「無縁墓をどうする、タブー視せずに考えたい」というのがありました。 『お墓を引き継ぐ人が途絶えることに伴う「無縁墓」が社会的な問題になっている。背景には、少子化や単身世帯の増加、都市部への人口集中などがある。墓は全て子孫が永続的に継ぐことを前提とした「永代使用」の仕組みで続いてきたが、墓を守る人がいないと墓地が荒れてしまう。引き取り手のいない墓石が不法投棄される問題も各地で起きている。』 日本全国には7万7千にも及ぶ寺院が存在し、コンビニの数が5万2千余店というから、コンビニよりも多いのにも驚くが、更にもっと驚くのが、住職がいない無住寺院の数が2万を上回るという。 『お寺とはナニ?』 昔は人口が少なかったにもかかわらずどこにでも寺院があります。現在では7万7千もの寺院が建てられたのは、それだけ必要とされていたからでしょう。江戸時代には、宗門人別改帳とかいうのがあって、現在で言う戸籍原簿や租税台帳であったそうです。寺子屋といわれて、お寺が学校代わりになり、僧侶が先生として子供たちに読み書きそろばんなどを教えていたこともあり、それだけ僧侶は町や村の人たちの信頼もあり、人たちは、苦しい日々に心の安らぎを求めてお寺を建て、仏の教えを聞き学び、それによって人々の心が安らぎ救われる、それが本来のお寺の役割でした。 現代の日本社会は資本主義社会であり、おカネがなければ何もできない社会であります。人は誰でも自分の人生観を持っていてそれに従って生きています。例えば、哲学とか宗教とかは勉強しても一銭の得にもならないと言う人がいるでしょうが、こう言う人は結局のところ金儲けになるかならないかが一番大切なことなのでしょう。つまり「人生とは金儲けである」と考えているわけです。人それぞれ人生観が違うということでしょう。 日本では、遺骨を寺院が管理する墓地へ埋葬することが多く、代々に渡って供養や法要をしてもらっている寺院を菩提寺といい、その菩提寺と関わりのある人のことを檀家と呼びます。 檀家はいわばその寺院の会員のようなもので、墓地を利用し、法要をしてもらえる権利を持っています。先祖が埋葬されているのでその寺院を維持管理するためには寺割を納めなくてはなりません。 また、寺院の新築・改築の費用や本山への上納金など、檀家であるから寺院の維持管理に経済的な支援は必須ともなります。 お墓と納骨堂 故人の遺骨を納めるための収蔵スペースを備えた建物を納骨堂、それに対して遺骨を埋葬するための野外施設をお墓と区別しています。 納骨堂は、元々は「預骨(よこつ)」のための設備だったもので、墓石へ納骨をするまでの間に寺院などで骨壺を一時的に預かるためのものでした。しかし今ではお墓の代わりとして利用したいということで、管理運営の主体により寺院納骨堂、民営納骨堂などがあります。寺院の場合は本堂または境内等に専用の区画が存在し、無縁仏や管理されずに残された遺骨が保管されており、遺骨の保管が許容要領を超えた場合に喪主、遺族、関係者の許可を受けて古い方から順に納骨堂へ保管されます。 ・ お墓の後継者がいないご家庭が増えた ・ 都市へ人口が集中し、人口密度の高い地域のお墓にニーズが増えた ・ 核家族化により、小規模なお墓へのニーズが増えた 子や親戚などお墓の後継者となる方がいない、お墓を継いでくれる子はいるけれど、未婚であったり、孫がいなかったり、将来的な継承に不安を感じている。また子がいても「子供に自分達のお墓の面倒をかけたくない」という声もある。 将来の継承者問題への不安や、掃除や管理が行き届かないといった理由から、先祖代々のお墓を撤去する「墓じまい」が年々増えているそうだ。 埋葬せずに遺骨を海や山にまく「散骨」 人が亡くなった後、墓に埋葬せずに遺骨を海や山にまく「散骨」が広がっています。 お墓を、この世に生まれて生きた「証」と考えることも出来ますが、散骨で墓も無い、亡くなった本人だけでなく、先祖代々(父母、祖父母・・・・)へと延々と繋がっていく埋葬文化が消えていく。 お墓をどうする。お寺をどう考えているかなど、なんか妙な時代になってしまっている。 |
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宗教の役割 |
お寺の総代会の会長をやめてホッとしていますが、信心深い人間ではないけれど、考え見ると望んでこの世に生まれてきたのではないけれど、誕生を望んでいた親はもういない。 (ネットの中で拾った文章を自分なりに考えてみた) 宗教の役割 動物には宗教は無く、宗教は人類が集団社会生活をする際に発明されたとも言われています。 特に農耕が始まって社会集団が巨大化して行くにつれ、統治の観点からも、「何とか諸法度」とか「何とか法令」のように外側から枠を嵌めるだけでなく、内側からより普遍性を持った宗教を基盤として、盗んではいけない、殺してはいけない、を始めとした強い道徳律で支えないと社会は安定しなかったのでしょう。俗な言葉で言えば、「どこかでお天道さまが見ている」という感覚が共有される事が必要だったのだと思われます。 明治の神仏習合と生活の上での誕生=神道、死=仏教の使い分けが日本人には宗教観が希薄と言われているのは、神社に初詣に行き、教会で結婚式を挙げ、亡くなった後は、僧侶にお経を上げてもらうことを見てなのかも知れません。 十年ほど前に、日本創成会議が指摘したのは、人口減少は1980年代に150万人だった出生数は80万人を割り込み、人口は毎年100万人減少するというのです。 日本創成会議が指摘 「2040年までに全国の約半数の896自治体で20〜39歳の女性が50%以上減り、将来は消滅する可能性がある」などと指摘し、少子化対策や東京一極集中の是正の政策を提言しました。 (日本創成会議)とは 日本生産性本部が2011年に東日本大震災からの復興を東北地方創成とし、それを日本創成の契機にしたいとして発足されました。 人口減少する日本の過疎地で起きているのが廃寺・廃神社で、特に廃寺は地域社会崩壊を意味します。日本の田舎は寺を中心としたコミュニティで、江戸時代は生まれると寺に住民登録し、これが戸籍制度になりました。寺が役所を兼ね、農民は寺と共に生きて寺を支援し、多額の寄付をして寺の経営を支えました。 この制度は人口が増え続けるとうまく行くが、村びとが減少する社会では、檀家が減少して一人の負担が重くなります。 やがてもっと村びとが減ると寺を支えられなくなり無人化し、寺はもはや村の中心ではなくなりやがて廃寺にいたります。村びとの多くが働いていて納税するほど収入があれば良いが、やがて村人は年金生活になり子供たちは町に移住します。 瓦業界が栄えていた頃は勢いもよかったけれど、日本三大瓦産地のひとつであった津井は、度重なる震災などで大変な状況になっております。そうはいっても菩提寺である隆泉寺は、私たちの親たちだけでなく、ご先祖さまも眠っているお寺です。何百年も続いてきた隆泉寺の運営は檀家の皆様方に支えられ続いてきました。 寺の大きな収入が墓地と維持管理費ですが、村人が減少すると墓に入る人も減り、町に出て行った子供は田舎の寺と疎遠になります。 津井の隆泉寺は約四百年の歴史があり、今でも檀家が約350軒もある大きな寺です。 上での例では寂れていく町の典型的なパターンですが、差し迫った現実な問題として、皆で考えていかなくてはならないでしょう。 柳田國男(民俗学者・官僚)は、‥‥‥‥‥‥‥‥ 人は死しても霊は遠くへ行かず、故郷の山々から子孫を見守り、正月や盆には「家」に帰ってくる。 また、室生犀星の詩では‥‥‥‥‥‥‥‥ ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや |