寛永年間に当時貧困にあえいでいた津井を尼崎の法華の高僧が訪れ、地表に顕われた土質が瓦製造に適していることを見て、真言宗から法華に改宗することを条件に瓦の製造技術を伝授したという。 尼崎の本興寺あてに起請文を一札入れている。
それが今も釜口の妙勝寺に残っている。 →
寛永の飢饉と法華改宗 室町時代から淡路法華の布教の拠点は尼崎の本興寺を本寺とする釜口の妙勝寺であった。その属坊本妙坊が由良に移って、本妙寺を称し、寛永二年に片田村、翌三年には津井村が一村まとまって法華宗に改宗することになった。
-------------------------------――-------------------------――---------- 津井村は御蔵米、年貢を納められず迷惑をかけています。ついては妙勝寺さまに借銀をお願いしたいと思います。法華に宗旨替えすればすぐに未納分の360匁の銀を借用できないでしょうか。改宗については末代まで徹底させますのでご安心下さい。もし心得違いを起こせば360匁に5割の利子をつけて毎年お納めすることお約束します。お伊勢さん、住吉、愛宕、多賀や他のお宮さんに参ることはしません。また高野山や先山、叶堂の観音さんなど真言の寺参り、勧進はいたしません。約束を違えるようなことがあれば日本中の神様の罰を受けて、現世にては重病、後世にては無間地獄に落ちることも覚悟しております。何卒宜しくお願い申し上げます。 寛永3年(1626)11月1日 津井村一同
---------------------------- 銀360匁とはどれくらいの金額か。 銀50匁=金一両=米一石で米一石は現在の貨幣価値にして10万円くらいで、 金一両は4.5匁(18g)で、1g4000円で計算すると72000円、金一両の骨董的価値は約50万円だということらしいです。
寛永年間とはどういう時代だったのでしょうか。
1624年(元和10年・寛永元年) 徳川家光(征夷大将軍:映画でおなじみの水戸黄門)が京都・二条城の拡張、殿舎の整備に着手。 1625年(寛永2年) 熊本で地震。死者約50人 1626年(寛永3年) 二条城完成 1627年(寛永4年) 松代地震。死者多数。 1628年(寛永5年) 8月10日(旧7月11日):大地震があり、江戸城の石垣の多くが崩れた。
現在と同じように地震の活動期だったのか。
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