ふれあい瓦
ふ れ愛かわら(瓦)
今から28年前の話です。
[西淡町商工会青年部/創立20周年記念事祈](昭和61年完成)

※「ふれあい瓦」
西淡町の地場産業である「屋根瓦用の粘土」を30cm四方にして、その柔らかい粘土に手形を2枚押してもらい、1枚は木枠の額に入れ押して下さった方に贈呈し、あとの1枚を「ふれ愛かわら舞台」に張り付けました。

大鳴門橋開通
淡路島門崎と鳴門市大毛島孫崎間の鳴門海峡の最狭部を結ぶ吊り橋(1985年(昭和60年)6月8日に開通)
大鳴門開通を記念して、淡路島の観光に訪れる人々、商用、私用、講演、スポーツ、各界・著名人など多くの方々から手形を押してもらい、“ふれ愛かわら”と名づけて、それを一堂に集め、多目的に利用で きる「ふれ愛かわら舞台」を名勝慶野松原に設置しようと企画した。
商工会青年部とは四十歳が定年という限定がある。
定年を迎える年がちょうと商工会青年部の創立20周年に当たることから、2年間にわたる「汗と涙の結晶とが、“ふれ愛かわら舞台”となりました。
昭和20年生まれの、熱き若かりし頃の思い出でもあります。
日本三大瓦産地、淡路瓦(西淡)
西淡町商工会青年部は、昭和40年4月に発足し、町内商工業の経営を後継する若手商工業者の研修と地域商工業の繁栄と発展に寄与することを目的として活動 いたしておりました。
“ふるさと淡路島”の恵まれた豊かな自然環境を愛し、感謝しながら多くの人達とともに地城活動を続け、創立20周年の記念事業として、 “ふれあいの輪”を大きく拡げていくとともに、淡路島の最大の地場産業である瓦のPR、観光のPR、魅力ある故郷づくりのひとつになればと「ふれ愛かわらのモニュメント」づくりに取り組みました。
(現在は合併に伴い南あわじ市商工会青年部となり、継続してやっております)
※スローガン『 南あわじ市商工会青年部は、経営者及び、後継者の育成に全力を尽くし、部員事業所の繁栄を以て地域振興の先駆者となる! 』

※西淡町(平成の大合併で四町が南あわじ市に合併する前の旧町名)
兵庫県の地場産業のひとつで日本建築を優雅に演出する「屋根瓦製造」の町です。
今から約千四百前に、伝わった瓦製造業技術が、地場産業として地域経済の基盤となり、三河(愛知)、石州(島根)の全国三大産地のひとつです。
国定公園[慶野松原]
※慶野松原
大和朝廷の天皇の行在所(あんざいしょ)のあったところで、「日本の渚百選」「日本の夕陽百選」「日本の快水浴場88選」に認定された国立公園。
南北約2.5キロに延びる白い砂浜と約5万本からなる松林の向こうには、播磨灘に沈む夕陽が眺められます。

この事業を企画実現するためには、国定公園内に建造物を設置することの難しさ、国、兵庫県へのお願いの一番中心となったのが当時の部長だったT氏でした。
「国定公園にはまかりならん」というのを県民局、兵庫県へ説得に走り回ったT氏の銅像を「ふれ愛かわら舞台」の横に建ててやりたいぐらいです。
私は商工会青年部に入会するまで彼のことは同い年だったが、学校が違っていたので知らなかったけれど、今でも尊敬する人のひとりです。

「ふれ愛かわら舞台」
※「ふれ愛かわら舞台」にある手形
国会議員では、
後藤田正晴(元副総理)、原健三郎(地元選出、元衆議院議長)をはじめ十数名、建設に向けて走り回っていた当時の兵庫県知事坂井時忠、兵庫県知事貝原俊民(20周年完成当時の知事)、大鳴門橋開通に伴う「くにうみの祭典」に訪れた他府県の知事さん、日本の経済の牽引者である財界の方々から・ ・・ スポーツ界の有名な方々、ミスターこと長嶋茂雄、中でも相撲の小錦関の大きな手形は最高の傑作でしょう。
芸能・映画界では、淡路島出身の渡哲也をはじめ、阿久悠、山口崇、渡瀬恒彦、浜村淳、黒田征太郎、直原玉清、兼高かおる、 岩崎宏美、平山泰代、柏原芳恵、安部律子、高右ともや、西村亜紀子伊藤麻衣子 、三波春夫、シルビア、正司敏江・玲児、岬けい子、横矢勲、水前寺清子、川本 綾嗣、樋口三代子、上原まり、大杉久美子、 夢路いとし、喜味こいし、正司歌江、キダタロー、並木ひろし、E−Hエリック、叶高、都川愛子、藤木頌子、三 城司、佐伯美香、大西浩二、谷口忠孝、武仲美智代、三原じゅんこ、松平けい子、 富好真、大島智子、奥山リコ、後藤悦治郎、蔵原惟二、酒井くにお・とおる、渚 晴彦、市川賢二、 DJ・パーソナリティでは、朝日放送の道上洋三をはじめ川村龍一、西條遊児、吉田慎一郎、飯窪長彦、高尾豊紀、上撫隆、安井牧子、川村 恒雄、相沢淳二、大場道勇、前川康一、船場太郎、坂口佳澄、馬場章夫、松田宏・・・・ 、その他多くの有名人や地元の方々約800枚があります。

若者のこういう面白い企画に喜んで手形を押してくださった方もいたけれど、そういった軽いものに連ねるのはどうもと押させてもらえなかったなど、人間いろいろあら〜ぁね、でした。
野村克也さんはマネージャー役の奥様を乗り越えられなくて押してもらえなかったり、司馬遼太郎さんは「菜の花の沖」という小説の中に、高田屋嘉平が最初は瓦舟にのっていたなどと書いていたので是非とも押してもらいたかったのですが残念でした。
そういった中で長嶋茂雄さんは喜んで押して下さいました。
いつまでたってもファンが多いのもうなづけます。
後藤田さんは体は小さかったけれど、マイクを持って挨拶しだすと倍ぐらいの大きさを感じさせる方でした。

人と人、心と心の「ふれあい」「ふれ愛かわら舞台」で懐かしの方々と「手」と「手」を合せてふれあってみませんか?



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