的射の儀
津井春日神社の春祭り
歴史研究家ではないので、周りにある書物や古老からの言い伝えから勝手に推測したものだから、全てが正しいとは限りません。
津井春日神社春の祭礼に行われる「的射の儀」について書きます。
(南あわじ市の重要民族文化財に指定)

春日神社の春 祭りに行われる「的射の儀」は、悪霊を祓い五穀豊穣と家内安全を祈願するものです。
その時、氏子代表の役職の人々、氏子の子供(数え年 三歳)が拝殿で御祓いを受ける。
日本の古くから続いている(村の)祭りは、身を清め、供物をささげて祈願・感謝・慰霊などを行うことです。
津井春日神社の春祭りでは、このことを「頭(とう)と言います。


祭りというのは「お店」がたくさん出て、お小遣いをもらって、オモチャやタコ焼きなどを食べられるうれしい日です。
日本の各地で行われている祭りは、神様に感謝や祈りをする儀式なのです。
神様なんて本当にいるのかなあと思うけれど、怖いことがあると「お母さん助けて」「お父さん助けて」とかいいますが、もっと大きな怖いことや家族や友達が病気になったりすると「どうかお願いですから神様助けて下さい」と神様にお願いすることがあります。
普段は神様のことを考えていない人でも、心のどこかに神様がいるのでしょう。
「まつり」という言葉は神様を祀ることから来ています。

津井と伊加利の境界、今は廃校になってしまった辰美中学校の入り口の前に古宮という地名のところがありますが、津井と伊加利、阿那賀の3つの村の氏神としてありましたが、それぞれの村がお宮さんを作り津井春日神社が出来ました。

春日神社には一年を通じていろいろな行事があります。
津井春日神社の年間祭祀(さいし)
○元旦祭
○建国記念祭
○社日(春分に最も近い戊(つちのえ)の日)
○春分の日
○春の大祭
○秋分の日
○社日(秋分に最も近い戊(つちのえ)の日)
○文化の日
○勤労感謝の日
○天皇誕生日

賑やかな催事、檀尻や舞などだけがまつりではありません。

古事記とか日本書紀という神話の中に、スサノオノミコトという神様がおり、やんちゃな振る舞いに怒った姉のアマテラスオオミカミ(天照大神)は天の岩戸に隠れてしまい、暗闇になってしまいました。
困り果てた神様たちが相談して、イシコリドメという鍛冶屋のような神様を呼んで鏡を作らせ、天照大神が出てくるように岩戸の外で踊ったり歌ったりしていたら、天照大神が細く開けたとき鏡を差し入れました。
その鏡に映っている自分の姿が外の騒ぎだと思って興味を持ち、油断したすきに外に引き出されました。
そうすると再び明るくなりました。
祭りに檀尻や舞が奉納されるのは、そういうところからだとも言われています。
津井の春日神社の春祭りには檀尻のほかに、「的射の儀」という弓矢を使う行事が奉納されます。
弓矢を使う奉納行事は全国にたくさんあります。
馬に乗った射手が馬を走らせながら射る流鏑馬(やぶさめ)は、テレビなどでも紹介されることがあります。
春日神社の「的射の儀」は、その場で射る歩射(ぶしゃ)というもので、流鏑馬のような格好良さはありませんが、その動作にはいろいろと意味あります。
「的射の儀」と「頭屋」
「頭屋、頭人」とは
神社の祭禮 にあたり、神事や行事の主宰者となる家。また、その家の主人。

頭屋がわりでコミセン(公会堂)で出立ちを祝ってもらっている→

昭和の末期頃までは、津井春日神社の春の大祭には氏子の中から頭屋をする家があり、その制度は続いていました。
頭屋制(頭屋行事)は世襲または持ち回りの座元(頭屋)が取り仕切る組織的な祭り維持制度で、かつては全国各地にあったという。
神社祭禮などの準備世話役を頭屋、頭人といい、神を迎え祀る特定の家を言う。その役を勤めることは誇りでもあり、神の加護を得ることでもあったので自ら進んで頭屋になる寄進頭屋制が古くは一般的でありました。
経済的な負担もあることだから、自分から進んで頭屋をすることはなくなり、最近では部落の公会堂などを頭屋として村祭りの風習は続いています。

延々と続けられる的射の儀式
神輿や檀尻が祭りを盛り上げるが、津井春日神社の祭礼には檀尻に加え、弓矢を使う神事が江戸中期より続いております。
「的射の儀」は南あわじ市の重要無形文化財となっております。
各地区(部落)持ち回りで「的射の儀」の当番が廻ってきます。
的射の行事には青年六人の他に矢拾いの子供が二人、それに年寄りとして総裁、介添え役が加わります。
的射の儀式に選ばれた若者6人とその総裁、介添え役の人たちは、祭礼の一ヶ月ほど前より練習をはじめます。
矢を射る構え、形を前年度の的射の儀式を担当した経験者から指導を受けて祭りの当日まで練習します。
頭屋があった頃は、祭りが近づくとその家に集まり夜に練習します。
現在でも仕事から帰って、瓦工場の倉庫とか公会堂に集まって、古式床しい伝承の儀式は前任者からこうして延々と受け継がれてきました。
総裁と射手
的射の儀式に選ばれた若者たちのことを「射手(いて)」といいますが、むかしはお世話して下さるお家「頭屋(とうや)」に泊りこんで、朝からお風呂に入り身を清め、ご馳走で祝ってもらいます。
的射の若者たちは総裁というお年寄りを先頭にして、下駄をはいて弓を携えて檀尻より先に出発して春日神社まで歩いて行きます。
途中で隆泉寺に立ち寄り「三十番神」に参ります。
「三十番神」
津井村春日神社大祭の「頭人」が神社に参る前に隆泉寺に参るワケは・・・。
寛永3年、津井村の隆泉寺が真言宗から法華宗に改宗したことに起因する。
元和から寛永年間(1615〜1643)は飢饉の年が多く、年貢が納められず尼崎本興寺から銀子三六〇目を貰って一村こぞって改宗した。
そのため、子々孫々まで法華宗を使り、淡路の他村他宗でのような、伊勢参り、愛宕参り、先山参り等を禁止させられている。また、子孫が他宗に改宗する場合は、五割の福利で元利合計返金することを約束させられている。
的射の人たち、 数え年三歳児が春日神社に参る前に隆泉寺へ参るのはこういう理由であります。

日蓮宗(法華)では、神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために神仏習合が唱えられ、法華宗になった隆泉寺には、三十番神さんが祀られている。

三十番神とは?
旧暦の1ヶ月30日の 間、毎日当番で国家や国民を守護する天照皇大神・八幡大菩薩など 30柱の日本の神々です。日蓮宗では法華経の守護神として信仰され、ご祈祷のご本尊として、まつられている。
頭(とう)
的射の一行が春日神社に着くと、先ず全員で参拝して、「的射の儀」が始まります。
それと並行してお祭りの主役の子供たち(数え三歳)は春日神社の拝殿で神主さんからお祓いをうけます。このことを「頭」といいます。
春日神社の祭りは、「頭(とう)」と呼ばれる氏子の子供(数え年三歳)がお祓いをうける子供が主役の儀式です。

神事
日本の神社で行われている祭りは、神様に感謝や祈りを捧げる儀式なのです。
お祭りの神様は天皇のことです。現在の天皇のことを言っているのではなく、先に話した天照大神の頃から続いている天皇のことです。
春日神社には、武道の神、家業繁栄の神、学問の神、子孫繁栄の神の4つの神様が祀られています。
「的射の儀」というのは神事ですから、神主さんが祝詞をあげたあと、小さい直径40センチほどの「的」の真ん中に「鬼」という字を書き、墨で黒く塗りつぶします。
これを「鬼封じ」といい、鬼、すなわち悪霊(あくりょう)を神前で追い払うことで村へ入るのを防ごうとするのが「的射の儀」という神事です。

「大舞」
「的射の儀」はリーダー格の人が「大舞」という演技をします。
天地、東西南北に向けて射る格好をします。
的射の儀式の射手(メンバー)の構成は6人です。
大舞の演技に続いて、6人で2本ずつ7回、そしてまた2本ずつ5回、また2本ずつ3回、合計30本の矢を直径1.5メートルの的に向けて放します。
的に向かって矢を放つというのは命中度の競争ではなく、悪霊を祓うというのが目的なのです。
神様のお恵み
春日神社の春祭りに行われる「的射の儀」は、悪霊を祓い五穀豊穣と家内安全を祈願するものです。
日本の古くから続いている(村の)祭りは、身を清め、供物をささげて祈願・感謝・慰霊などを行うことです。

人間は自然の働きなしでは命すら保てません。
息が出来ること、体が動くこと、健康なこと。
これらすべて神様のお恵みなのだと思います。
世の中には目には見えない道理というものがあり、
その法則に基づいて世界は運行されております。
悪いことをしたものには悪い報いがある。
良いことをしたものには良い報いがある。
神様がこの世界を守っておられるからこそ。
世の中はその道理、法則に基づいて秩序を守っていられるのです。

効率化を重んじ、大都市一極集中という考えが良いような世の流れがありますが、それが過疎化に拍車を掛けています。
もう一度人間の考え方を見直すべきときに来ているような気がします。



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