津井春日神社
春日神社
春日神(かすがのかみ)は、神道の神である。
春日大社から勧請を受けた神のことであり、神社の祭神を示すときに主祭神と並んで春日大神などと書かれる。春日神を祀る神社は春日神社などという社名になっている。
春日神社の四柱の祭神
春日大社は神護景雲(じんごけいうん)二年(768)平城京守護のため創建され、平安時代に入り、藤原道長をはじめ貴族の間で春日詣が流行し、中世以降武士、庶民にもひろがった。
日本の古代から近世までの貴族であった藤原氏の守護神である武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)、祖神である天児屋根命と比売神を祀る。四神を藤原氏もって春日神と総称される。

四柱の祭神。
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神
春日神社は、全国に約三千社あるといわれています。

武甕槌命 (武道の神、水の恩恵を下す神)
古事記では建御雷之男神・建御雷神、日本書紀では、武甕槌、武甕雷男神 などと表記される。単に建雷命と書かれることもある。別名 建布都神(タケフツ)、豊布都神(トヨフツ)。名前の「ミカヅチ」は雷のことであり、雷神は剣の神でもある。

経津主命 (心願成就、家業繁栄の神)
日本書紀のみに登場し、古事記には登場しない。別名、斎主神(いわいぬ しのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)。神名の「フツ」は刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神である。

児屋根命 (文教、学問の神)
岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたとき に太玉命とともに鏡を差し出した。名前の「コヤネ」は小さな屋根(の建物)の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。祝詞の神、出世の神ともされる。

比売神 (良妻賢母、家庭幸福、子孫繁栄の神)
神社の祭神を示すときに、主祭神と並んで比売神(比売大神)、比盗_などと書かれる。
これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すものである。
春日大社に祀られる比売神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)の妻の天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)である。

津井春日神社の創建

津井春日神社は貞享二年(1685)本殿が改築されたとありますが、創建された年は定かではありません。
奈良の春日大社に属し、伊勢神宮、出雲大社と密接な関係にあります。

津井村誌(昭和七年津井小学校郷土史研究部代表者識)
によると、春日神社の項には次のように書かれています。
神道
昔は大木や巨岩、山など、特異な自然物に神が宿ると考えられていました。
古代の人々は、そうした自然物のある神聖な場所に臨時の祭場を設けて、祈祷や祭事を行っていたのです。やがて、そこに神の住むところとして「やしろ」「みや」と呼ばれる常設の社殿が造られるようになったのが、今日の神社の原形です。
 その後、天皇をはじめ力のある豪族らが自分たちの氏神を祀るために、各地で神社の社殿を整えていきました。
 日本では、神を敬う宗教を「神道」と言います。
この神道を一言で言うなら「天皇を敬う」と言うことです。天皇家の祖先は全部神様ですから、「古事記」で語られることは神様のお話で、神道の基本原理と考えることができるかも知れません。
その大元が「伊勢神宮」で、天皇や皇太子などの皇族が、事あるごとに参拝に来ています。

 この神道には、「死」とか「血」と言うものを「不浄の物」とする考えがあります。
 神社が行う行事(祭り)で、死者を出した家はある一定期間参加できないとか、女性は参加できないなどの決まり事があります。

『古事記』は、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものである。
 神代における世界の始まりから、推古天皇(592年即位)頃まで書かれています。多くの場合、日本神話は『古事記』『日本書紀』のふたつの古典 に書かれた説話の事を指します。
 日本にある神社は、何かしら天皇と関わりがあります。
(作家井沢元彦氏書物参考)

神話に登場する神々です。

天照大御神 、須佐之男命 、奇稲田姫 、足名椎 、手名椎
大国主命 、事代主命 、建御名方命 、武甕槌命 、経津主神
思金神 、宇津女命 、児屋根命 、太玉命 、手力男命
邇邇芸命 、猿田毘古神 、神武天皇 、日本武尊 、仲哀天皇
神功皇后 、武内宿禰 、菅原道真 、藤原時平

神社のお参りの仕方(鳥居)
知ったかぶりを書いていますが、正直なところインターネットからパクッたお参りの作法です。

鳥居は神さまの聖域と人間世界との境界を示したものだといわれています。
一説によると天照大神が岩戸隠れのとき、鶏を止まり木にとまらせて鳴かせたところ、岩戸から出てこられたことから、以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。
鳥居の種類は神明鳥居系と明神鳥居系があり、津井春日神社の鳥居は明神鳥居という形式で、いちばん多い鳥居の形式です。
笠木の下に島木があり、柱は地面に対して少し斜めに立てられている。

一般の参拝者は鳥居を潜ると一礼をします。これを「一揖(いちゆう)」と言います。

鳥居をくぐり社殿まで続く道を「参道」といいます。
その文字のとおりお参りする道で、神さまのいらっしゃるところと人とを結ぶ大切な道です。
参道の中央を「正中(せいちゅう)」と呼び、神さまの通り道とされているので、なるべくそこを歩かないのが神さまに対する礼儀といえます。
一歩一歩神さまを敬う気持ちで進むようにすると良いようです。
本殿
神社の本殿は神さまが祭られているもっとも重要なところです。
奈良時代より前には、本殿はなく、山や樹木、岩などにお迎えしてお祭りをしたといわれています。
津井春日神社には四柱の祭神が祭られています。
武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神

参拝するとき身を清めるということから置かれているのが「手水舎(てみずや)」です。
古くは神社の前の川で手を洗ったり、口をすすいだりしてきました。

手水の作法
自分で手水を使うときの作法は、まず右手でひしゃくを持って水をくみ、左手にかけて左手を清めます。
ひしゃくを左手に持ち替えて、同じように右手を清めます。ひしゃくを右手に持ち、左手の手のひらに水を入れ、その水を口にふくんですす ぎます。
ひしゃくから直接飲みません。そして、水を左手にかけます。
最後に水を入れたひしゃくを立て、柄に水を流してからひしゃくを伏せて置きます。

一連の流れは合理的になっていますねえ。

拝殿
本殿の前にあるのが拝殿で、参拝者が拝礼をしたり、神職が祭典を行ったりする建物です。

津井春日神社の年間祭祀
○元旦祭
○建国記念祭
○春分の日
○春の大祭
○秋分の日
○文化の日
○勤労感謝の日
○天皇誕生日
など、神社では一年中通して祭祀(さいし)が行われています。
頭や厄払いなどお祓いを受ける人は玉串奉奠を行うこともあります。

玉串奉奠とは
玉串に自分の心をのせ、神にささげるという意味がこめられています。

玉串のささげかた
神職の前に並んで順番を待ちます。
自分の番がきたら、神職および来賓の方に一礼してから、玉串を両手で受け取ります。
このとき玉串は右が枝元、左に葉がくるように渡されますから、右手の親指を下にし、左手で支えるように受け、枝元が胸の高さになるようにやや持ち上げて一礼します。
次に祭壇前にすすんで玉串案に供えます。

(1)やや手前で一礼します。
(2)左手で葉の部分を支えながら、右の手のひらを返し、玉串を半回転させます。
(3)枝元を祭壇に向けて玉串案に供えます。
(4)神様を仰いで深く二礼し、2回かしわ手を打って一礼し、2、3歩後ずさりします。
(5)向きを変えて神職と来賓に一礼し、自席にもどります。

狛犬
「狛犬」は神社の入口や拝殿の前などにある一対の獣形像のことで、魔よけや守護のために置かれています。
一般的に二匹で一対になっていて、一方は口を開け、一方は口を閉じた「阿吽(あうん)」を表しています。
            春日神社の狛犬ではありません→

「燈籠」は奈良時代の初め、朝鮮半島の百済から伝来したもので、神社だけでなく寺院にもあります。
火を灯すことによって神さま、仏さまから守ってもらうことをいっそう強く祈るためと考えられています。
屋外には石燈籠、回廊には金属製の釣り燈籠が並べられることが多いようです。
形や材料などさまざまなものがあり、時代によっても違います。

社日(シャニッツァン)
春日神社にあるのではないが、宮総代が社日様の世話をします。
シャニッツァンと呼ばれている(社日)という祭礼がある。
津井には社日山という山があって、頂上に社日様を祀ってありました。
社日山を削って、湊港の横に埋め立てをして出来たのが新島です。
頂上にあった社日様は現在の津井幼稚園の入口の横に小高い丘を作って祀っています。
社日塔は五角面の石棒で天地五神(天照大神、大己貴神、少彦名命、埴安姫命、倉稲魂命 )を陰刻してあります。

○天照大神(あまてらすおおみかみ)
 太陽を神格化した神 女神

○大己貴神(おおなむちのかみ)
 一般的には大黒様と呼ばれている神様で、他にも大国主神(おおくにぬしのかみ)・大物主神(おおものぬしのかみ)・八千戈神(やちほこのかみ)・宇部志国玉神(うつしくにたまのかみ)など、たくさん神名があり、「医薬の神、農耕・豊作の守護神、縁結び・福の神、勇武果敢な神」それぞれのご神徳によって呼びわけられているそうです。

○少彦名神(すくなひこなのかみ)
 大己貴神と一緒に天の下を造った神 日本医薬の祖神

○埴安姫命(はにやすひめ)
 便所の神 土の神

○倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
 食物の神

※学者でもなければ神職でもない、ネットであるものを組み合わせただけ(^^;

社日(シャニッツァンと昔からいわれている)
春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となり、年2回ある。
春の社日を春社(しゅんしゃ・はるしゃ)、秋の社日を秋社(しゅうしゃ・あきしゃ)と呼ぶそうだ。
この日は地神農神を祀る日とされている。春は豊作を祈って五穀の種子をまつったり、秋は実った作物の初穂を供えて感謝の意を表する。
春の社日に種をまき、秋の社日に稲刈りを行うのがよいとされ、昔から農事の目安とされていたという。

津井の祭り
津井(500戸余)という小さな村で、6つの部落にそれぞれ檀尻があって、年に一度の春祭りには各部落から檀尻が繰り出して、賑やかなまつりでした。
小さな部落、戸数30戸ぐらいの内原にも檀尻があって部落だけで檀尻が出せたというのだから、むかしの人は自分の住んでいる村に誇りも意地もあったということでしょう。

太古より、日本人は万物の命の力(自然)をいただいて生かされ生きていることを思えば、氏神様を中心に村が一丸になっていかなければならない。
祭りごととは政治のことである。
そう考えると、果たして政治に無関心に成ってはいないだろうか。

平成17年に津井春日神社の総代会の会則を作って、夢をもう一度と願ってはみたが・・・・

宮司が共通の神社の春祭りを見て、津井の祭りも昔はあのぐらい元気で厳かなものでした。
  ↓ 
阿万亀岡八幡神社春祭り 濱の宮八幡神社出〜道中
https://www.youtube.com/watch?v=4XxwoMROcno

2013年4月21日 亀岡八幡神社春季例大祭の様子です。

(2014年4月6日南あわじ市福良八幡神社春祭り)
https://www.youtube.com/watch?v=-Hr0fwb_GVE

平成26年4月6日南あわじ市福良八幡神社春祭り五分一町檀尻保存会だんじり唄奉納「-神崎与五郎東下り」の様子です。


神社参拝の作法
 神社などに参拝し、神様に敬意をはらったり、神社の杜を見て自然を感じたりすることは、豊かな精神を育むものと申せましょう。

一、参道
  神社の入り口には、必ず鳥居があります。必ず、神社の一番外側にある「一の鳥居」をくぐって、参道へと入りましょう。
 このとき、軽く一礼します。これを「一揖(いちゆう)」と言います。
 参道を進むときは参道の中央を進んではいけません。参道の中央は「正中」といいまして、神様が通る道なので、我々が通るところではないのです。
 ちなみに、「一の鳥居」から内側にある鳥居は、順に「二の鳥居」「三の鳥居」といいます。

二、手水舎
 実際に参拝する前に、本来は精進潔斎や禊をしなければならないところですが、現代ではなかなかそうはいきません。代わりに参道の脇にある手水舎(てみずや)という場所で、身を清めます。
 手水舎には、水がためてあり、柄杓が用意されています。そこでの具体的な作法は、こうです。
 一、右手でひしゃくを取って、水を汲み、それをかけて左手を清めます。
 二、次に、左手にひしゃくを持ちかえて、右手を清めます。
 三、再びひしゃくを右手に持ちかえて、左の手のひらに水を受け、その水を口にいれてすすぎます。
 四、すすぎ終わったら、水をもう1度左手に流します
 五、使った柄杓を立てて、柄の部分に水を流してすすぎ、元の位置に戻します。
 この時、直接柄杓に口をつけてはいけません。多くの人が使うものですから当然です。

三、参拝
 実際に神様に参拝します。
 まず、一揖します。
 次に、鈴があれば力強く鳴らしましょう。神様に自分が来たことをこれで知らせるわけです。
 今度は、お賽銭です。お賽銭を投げつけるようなことがあってはいけません。静かに入れましょう。
 そして、「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」を行います。
 「二礼」 神前に向かって、二回深くおじぎをします。背中を平らにして、腰を90度折ります。
 「二拍手」 両手をのばして手のひらを合わせてから、右手を少し後ろへ下げます。(左手の親指の付け根の膨らんだ部分と右手の手のひらのへこんだ部分が合わさるぐらいのイメージで)肩幅ほどに両手を開いて、柏手を2回打ちます。再び、両手をあわせ、揃えて祈念をこめてから手を下ろします。
 「一礼」 再び深くおじぎをします。
 丁寧な作法では「一揖二礼二拍手一礼一揖」となっています。(上記に加え最初と最後に一回ずつ浅くおじぎをします)
 ちなみに、この参拝の仕方は一般的なもので、神社によっては作法が異なる場合があります。
 また、拍手をうつのは神様を呼ぶため、ではなく、自分が素手であること、何の下心もないことを神様に証明するためのものです。
 一般の参拝者は鳥居を出てから一礼をし、帰ります。

四、正式参拝
 正式参拝というのは、昇殿参拝のことをいいます。昇殿参拝というのは、祈願者が拝殿にあがり、神職の神事を受けながら、正式に参拝する方法です。
 作法は、以下のようになっています。
  一、昇殿して所定の位置につきます。
  二、修祓(おはらい)の儀を受けます。神職が祓詞を唱えますので、その際深く平伏します。
  三、神職が神前に向かって一拝するのので、それにあわせて一礼する。
  四、神職が献饌(神前に供え物をする)を行う。
  五、神職が祝詞を奏上しますので、その間、深く平伏します。
  六、巫女が神楽を舞います。
  七、玉串拝礼(以下の手順で行います)
   玉串の先を時計回りに90度回します。
   左手を下げて元を持ち、祈念をこめます。
   玉串をさらに時計回りに回します。
   右手を離して、玉串の中程を下から支え、離した左手を右手下に添えます。
   やや進んで、榊の元を神前に向けて案上におきます。
   やや下がり、二拝二拍手一拝の作法でお参りします。
  八、二拝二拍手一拝を行ういます。
  九、撤饌(神前の供え物をさげる)
  十、神職一拝にあわせて一礼します。
  十一、直会。神事の後、神前にささげた神酒・神饌(しんせん)をおろして行う宴会。
    また、そのおろした供え物をいただく会です。
※ただし、神社、祈祷内容によって、作法が異なって来ますので、その場での指示に従いましょう。

五、天津祝詞
 丁寧に参拝したい場合は、三の参拝の際、二礼二拍手一礼のあと、天津祝詞(あまつのりと)を唱えましょう。以下に紹介します。
 高天原に神留まります 神漏岐 神漏美之命以ちて
 皇御祖神伊邪那岐之大神
 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
 身禊祓い給ひし時に生坐る祓戸の大神等
 諸々の禍事罪穢を祓へ給へ 清め給へと申す事の由を
 天津神 国津神 八百万の神等共に聞食せと恐み恐み申す
  <読み>
  たかあまはらにかむずまります かむろぎ かむろみのみこともちて
  すめみおやかむいざなぎのおおかみ
  つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに
  みそぎはらいたまひしときにあれませるはらいどのおおかみたち
  もろもろのまがことつみけがれをはらへたまへ きよめたまへともうすことのよしを
  あまつかみ くにつかみ やおよろずのかみたちともにきこしめせとかしこみかしこみもうす

六、お御籤
 これは作法とは一寸異なりますが、お御籤(おみくじ)を引いた際に、結びつけるのは厄を祓うためです。よいお御籤を引いたときは、結びつける必要はまったくありません。
 また、境内の木の枝に結びつけると、木をいためますので、やめましょう。

毎度のことながら、インターネットにあったものを載せています。(いわゆるパクリ)
日本には八百万(やおよろず)の神様がおわして、それだけおわせれば、やはり中には寛容ではない神様もおわすわけです。
罰が当たるなどとよく言いますが、そんな意地悪を神様はするはずがないと思いますが、お参りするときの作法として覚えておくのもいいでしょう。



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