世の中はどんな時代だったのかを見ながら古東領左衛門を見ていきたいので・・・・
天誅組を書いているページから拝借(どこだったか忘れた)→
1730 享保 15 庚戌 本居宣長生まれる。 江戸時代の国学者・文献学者・医師。
1731 享保 16 辛亥 1732 享保 17 壬子 享保の飢饉
1733 享保 18 癸丑 1734 享保 19 甲寅 1735 享保 20 乙卯 1736 元文 1 丙辰 1737 元文 2 丁巳 1738 元文 3 戊午 1739 元文 4 己未 1740 元文 5 庚申 1741 寛保 1 辛酉 1742 寛保 2 壬戌 1743 寛保 3 癸亥 1744 延享 1 甲子 1745 延享 2 乙丑 1746 延享 3 丙寅 1747 延享 4 丁卯 1748 寛延 1 戊辰 1749 寛延 2 己巳 1750 寛延 3 庚午 1751 宝暦 1 辛未 1752 宝暦 2 壬申 1753 宝暦 3 癸酉 1754 宝暦 4 甲戌 1755 宝暦 5 乙亥 1756 宝暦 6 丙子 1757 宝暦 7 丁丑 1758 宝暦 8 鰭寅 1759 宝暦 9 己卯 1760 宝暦 10 庚辰 1761 宝暦 11 辛巳 1762 宝暦 12 壬午 1763 宝暦 13 癸未 1764 明和 1 甲申 1765 明和 2 乙酉 1766 明和 3 丙戌 1767 明和 4 丁亥 1768 明和 5 戊子 1769 明和 6 己丑 高田屋嘉兵衛(津名郡五色町都志)の貧しい農家に生れる
1770 明和 7 庚寅 1771 明和 8 辛卯 1772 安永 1 壬辰 1773 安永 2 癸巳 1774 安永 3 甲午 1775 安永 4 乙未 1776 安永 5 丙申 1777 安永 6 丁酉 1778 安永 7 戊戌 1779 安永 8 己亥 1780 安永 9 庚子 1781 天明 1 辛丑 天明の飢饉 天明8年まで続く
頼山陽生まれる。 江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。 主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。
1782 天明 2 壬寅 1783 天明 3 癸卯 1784 天明 4 甲辰 1785 天明 5 乙巳 1786 天明 6 丙午 1787 天明 7 丁未 1788 天明 8 戊申 1789 寛政 1 己酉 1790 寛政 2 庚戌 1791 寛政 3 辛亥 1792 寛政 4 壬子 1793 寛政 5 癸丑 1794 寛政 6 甲寅 1795 寛政 7 乙卯 1796 寛政 8 丙辰? 1797 寛政 9 丁巳 1798 寛政 10 戊午 1799 寛政 11 己未 1800 寛政 12 庚申 1801 享和 1 辛酉 1802 享和 2 壬戌 1803 享和 3 癸亥 1804 文化 1 甲子 1805 文化 2 乙丑 1806 文化 3 丙寅 岡田鴨里生まれる。 江戸後期-明治時代の儒者。 文政8年京都にでて頼山陽にまなぶ。 師の遺志をつぎ「日本外史補」をあらわした。 阿波徳島藩につかえ,洲本学問所[益習館]教授となる。
1807 文化 4 丁卯 1808 文化 5 戊辰 1809 文化 6 己巳 1810 文化 7 庚午 1811 文化 8 辛未 1812 文化 9 壬申 1813 文化 10 癸酉 1814 文化 11 甲戌 1815 文化 12 乙亥 1816 文化 13 丙子 1817 文化 14 丁丑 1818 文政 1 戊寅 1819 文政 2 己卯 古東領左衛門生まれる(淡路国三原郡西淡町津井村)
1820 文政 3 庚辰 清水次郎長 (山本長五郎)清水市美濃輪に生まれる。
1821 文政 4 辛巳 1822 文政 5 壬午 1823 文政 6 癸未 1824 文政 7 甲申 1825 文政 8 乙酉 1826 文政 9 丙戌 1827 文政 10 丁亥 1828 文政 11 戊子 1829 文政 12 己丑 天誅組で活躍した福浦元吉、 福良浦に生れる。
1830 天保 1 庚寅 1831 天保 2 辛卯 1832 天保 3 壬辰 1833 天保 4 癸巳 1834 天保 5 甲午 1835 天保 6 乙未 1836 天保 7 丙申 1837 天保 8 丁酉 1838 天保 9 戊戌 1839 天保 10 己亥 1840 天保 11 庚子 1841 天保 12 辛丑 1842 天保 13 壬寅 1843 天保 14 癸卯 1844 弘化 1 甲辰 1845 弘化 2 乙巳 1846 弘化 3 丙午 アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドルが浦賀に来航し開国を幕府に交渉した際にも幕府はこれを拒絶し、ビッドルは目的を果たさないで帰国
1847 弘化 4 丁未 1848 嘉永 1 戊申 1849 嘉永 2 己酉 1850 嘉永 3 庚戌 1851 嘉永 4 辛亥 1852 嘉永 5 壬子 1853 嘉永 6 癸丑 アメリカ東インド艦隊司令長官ペルーが黒船四隻を率いて浦賀に入港し、開国を迫る
1854 安政 1 甲寅 ペリーは軍艦9隻を率い、江戸湾へ入港、ついに日米和親条約が締結。
1855 安政 2 乙卯 古東領左衛門、淡路津井港の改修に着手
1856 安政 3 丙辰 1857 安政 4 丁巳 1858 安政 5 戊午 安政の大獄 幕府による日米修好通商条約の調印に対して,孝明天皇は水戸藩に対して密勅を下し、幕府に対抗する姿勢を示した。 そこで大老井伊は、幕府の施策を批判した梅田雲浜(小浜藩士・攘夷派)や橋本左内(越前藩士・適塾出身の蘭学者で開国派)らを逮捕し、徳川斉昭・島津斉彬・松平慶永ら一橋派の有力大名や攘夷派の公家たちを処罰するなど、徹底した弾圧をおこなうことによって政治権力の分裂を防ごうとした。 安政の大獄(1858〜1860年)
1859 安政 6 己未 1860 万延 1 庚申 1861 文久 1 辛酉 藤本鉄石(四十五歳)、古東領左衛門(四十四歳)、尊王討幕の同志として血盟
1862 文久 2 壬戌 1863 文久 3 癸亥 尊王攘夷派の挙兵 天誅組の変…大和(奈良県)の五条 侍従中山忠光を擁して、孝明天皇の大和行幸のさきがけをなそうとして挙兵、大和五條の代官を殺害し、十津川郷士を併合して大和高取城を攻撃した。
下関戦争(萩藩がアメリカの商船を下関海峡で砲撃した)
生野の変……但馬(兵庫県)の生野 平野国臣(福岡)・沢宣嘉(公家)
1864 元治 1 甲子 天狗党の乱…筑波山(茨城県)で挙兵→京都へ向けて進軍 藤田小四郎ら尊王攘夷派が政争に敗れて挙兵
禁門の変……長州藩を中心とする尊王攘夷派が京都に侵攻 池田屋事件がきっかけ→薩摩・会津藩兵に敗北
禁門の変による市中騒擾のさなか、古東領左衛門は堀川六角の獄舎で無法にも斬首された。時に46歳であった。 辞世の歌は 「君のため思いし事も水の上の泡と消えゆく淡路島人」 「君のため八重の潮路を登り来て今日九重の土になるとは」
岡田以蔵、処刑27才
禁門の変で、稲田藩は「稲田藩」という旗を立てて会津、桑名、薩摩諸藩とともに長州と戦って功績があった。 また、当時、藩庁から依頼をうけ、淡路から農民で組織された郷鉄砲隊が京都御所の守備に当たっていた。 彼らは、猪の駆除のため猟銃の所持が認められていたからだが、村ごとの人数割当での召集に村役は人選に苦慮したようだ。(三原郡史)
1865 慶応 1 乙丑 江戸幕府の滅亡 天誅組の変の最中、八月十八日の政変により幕府と朝廷との和解は実現したが,朝廷のもとで雄藩が国政運営を協議するという新しい政治のあり方は失敗におわった。 これ以降の政治史の一つの軸は,朝廷での主導権を握った幕府と雄藩連合による新しい政府をつくろうとする薩摩藩などとの主導権争いだ。もう一つの軸が,民衆のなかの世直しを求める動きだ。
1866 慶応 2 丙寅 1867 慶応 3 丁卯 1868 明治 1 戊辰
学者でもない、パクリで歴史話を集めて書いているので、どんな時代、どういう時代の流れなのだろうと集めてみた。 書いていて結構面白いなあと思っています。
終いには怒られるかも知れないが、まあ淡路島ってそんなところだったのか。 そう思った人が観光客として来てくれるかもしれませんゾッ!(^_^)
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