HOME
遠くへ行きたい
|
画像投稿
|
知らない町を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい
どこか遠くへ行きたい
(ジェリー藤尾の遠くへ行きたい)
人が未来へ歩んでいくためには、前を向き
自分の正面を照らす光を目指し進まなくてはならない。
人生という名の「旅」はこれからも続く
※駄文をならべていますが、コメント歓迎です。(^_^)
遠くで汽笛を聞きながら
なんで近頃昔のことをよく思い出すのだろう?
私は終戦の年に生まれました。
そして昭和39年3月に社会人になって、高槻にある大日本セロファンという会社に入りました。
当たり前のことだけれど、川の流れと同じように時代は変化していくのでしょうね。
私は希望退職で半年近く遊んで静岡市の印刷機械メーカーに入社しました。
しかし今年80歳、60年前の社会人になった頃を思い出しています。
わずか二年しかいなかった高槻の思い出も‥‥‥‥‥‥‥‥
全国から集まった67人だった(?)けれど、類は類を呼ぶとかいうけれど、似たような奴が自然と寄ってくるものです。(^o^)
高槻というのは歴史のあるところで、最初に連れ4人か5人で行ったのは耶馬渓というところでした。
それは高槻を流れる芥川の上流にあって、奇岩や断崖、滝などが続いており、その風景を九州の耶馬渓に例えて「摂津耶馬渓」と呼んでいたのです。
そんなに簡単に丘釣りができるものではないよねぇ。
丘で女を釣るなんて下品なやっちゃ(^o9)
高槻は国鉄大阪京都線と阪急京都線、琵琶湖から流れてくる川を隔てた京阪線が走っいて鳥飼大橋を渡れば小学校から高校までずっと一緒だった諭やんが枚方のセキスイにいたはずや。
しかし一遍も会いに行ったことはなかった。
諭やんとは帰省してからは毎年大阪で同窓会(みその)で30年ほど続けているが、ほとんど毎年あっているのに、まぁ社会人になるとそんなもんやろねぇ。
枚方へは菊人形や枚方公園にはよく行きました。
私市の交野というハイキングコースも行ったし、まぁ女の子を引っ掛けの常套手段だけれど失敗ばかり(^o^)
こんなことばかり振り返ってみれば、ほんとうにいい加減な男だったんやなぁと‥‥‥‥‥‥‥
二十歳すぎから放浪の旅をしながら何も得なかったのだろうか。
誰でもそんなことを考えながら終わっていくのやろね。
ふるい歌だけれど、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」を思い出す。
アリスの連中もある意味危ない奴らみたいやったねぇ。
深夜放送のヤンタンも面白かったなぁ
ランクル
2025.8.4-21:05
修正
必殺仕掛人_募集(^o^)
遠くへ行きたいというテーマとはかけ離れていてるけれど、私が二十歳すぎに仕事で一人旅しながら、月刊誌の小説新潮や文藝春秋などを夜行列車の中で読んでいたものが、何年かして映画化されて懐かしさと若かりし思い出もあるので、こうなっているのかも知れません。
木がらし紋次郎や剣豪指南? だったかシリーズで読んでいたので出張の一人旅は楽しいものでした。
今日は池波正太郎の藤枝梅安です。
必殺仕掛け人というのですが、このあとテレビで藤田まことの大ヒットとなる必殺仕事人シリーズになっていきます。
裏街道を歩く人間は多いけれど、庶民からみれば役人や悪徳商人をブチュ! やってほしいのは今も変わりませんね。
暴力はいけませんと言うけれど、裁判に訴えてもまともな判決がださないのではねぇ(怒れ)
ランクル
2023.9.16-21:40
修正
任侠道
私はいろんなところに、自分が生きてきた恥のことも平気で書いているから、お前はんは露出狂なんかと見られているか(^o^)
路上でポコチンを出したりするほどでもないけれど、好き嫌いはハッキリしている。
そんな性分だから顔にでるんですなぁ。
二十歳すぎの若造のくせに、カバン担いで一人旅(出張)なので、大きい会社も小さいところへも行ったら、とても大事にしてくれました。
それで有頂天にるのではなく、ご飯をご馳走になったら話せんわけにはいかないから、オベンチャラで誤魔化してその場しのぎを由としない性格。
途中入社した印刷機械メーカーは、静岡の長沼というところにあって、そこは旧家で、浪曲でおなじみの清水の次郎長の三番目の女房おちょうさんの生家でもありました。
次郎長さんは「おちょう」という名が好きだったのか?みな名前を「おちょう」にしたとか?
恋女房だから一穴主義(^^; とかいうけれど、一奥名主義というのかなぁ(^_^)
次郎長さんのイメージはヤクザの大親分だが、実は事業家で清水港や私設学問所など開いたともいう。
東映任侠もので「花と龍」という映画があるけれど、その原作は火野葦平です。
アフガニスタンの復興に生涯をかけた医師の中村哲さんは、火野葦平は母の兄(伯父)になるそうです。
中村哲さんの父親の中村勉は、石炭の積み出し港として栄えた若松で戦前、港湾労働者の労働運動の活動家でした。
中村勉と家族を助けたのが、港湾荷役業「玉井組」の玉井家でした。哲さんの母親の秀子は玉井家の娘。秀子の両親、哲さんにとっては祖父母の玉井金五郎。
作家火野葦平の「花と龍」は実名モデル。
火野葦平の本名は玉井勝則。
私は広島や九州へは出張の三分の一は行きました。
南へ行くほど人情が熱い。そして女性は優しい(^o^)
旅はいい、遠くへ旅したい。
ランクル
2023.8.31-19:15
修正
中村哲物語
終わりが見えない戦争や、大干ばつに苦しむアフガニスタン。
パキスタンとアフガニスタンにまたがり医療支援を行っていた医師の中村哲先生は、飢餓によって次々に命を落とす子どもたちを前に、白衣を脱ぎすて井戸を掘り、用水路を作りました。
そのことによって、65万人もの命を救ったのです。
どんな時も「命を守る」ために力を尽くした哲先生の生き方に触れ、「本当に大切な事は何か」を考えてみませんか。
大地をうるおし平和につくした医師 中村哲物語
価格 \1,760(本体\1,600)
著者 松島恵利子
脚本家・フリーライターとして活動。アニメ「ちびまる子ちゃん」の脚本を15年に渡り執筆中。
「世のため人のためアニメシリーズ「中村哲物語」乾いた大地を緑に変えた医師」の脚本。
また、人権教育映像の脚本を数多く手掛ける。
ランクル
2023.8.31-19:17
修正
P1
P2
[管理]
CGI-design