寄付という行為
2020.09.02

この世の中は、何らかの仕組みで動いていると思っている。
何も制約がない自由と考え方をする人もあり、そう言いながらも自然と何らかの仕組みが出来上がっていて、その仕組みに従って生きているのに、気がついていないなど、放っておいたら世の中が勝手に進んでいくから考えないというのもある。

勉強熱心ではないけれど、最近とくに瞑想するようになった。
痴呆症予防の読み物(ネット上)には、瞑想することもいいらしいとあるからやっていると、用語の意味がわからなくなってウィキペディアのお世話になることが多い。
日頃は何気なく使っているけれど、ウィキペディアの運営は国でもないし企業でもない。

今日も何気なくgoogleから検索して、ウィキペディアにアクセスしたら「寄付のお願い文」がありました。
以前にも寄付をしたことがありますが、してもしなくても構わないので気持ちはあるけれど、そのままにしていることが多いけれど、大抵はみんなそうでしょうね。

【日本のウィキペディア読者の皆様へ 申し上げにくいのですが、どうかスクロールせずにお読みください。この水曜日に、ウィキペディアの独立性を守っていただけるようお願いいたします。読者の98%は見て見ぬ振りをして、寄付をしてくださいません。もしあなたが今年すでに寄付をしてくださった特別な読者なら、心から感謝いたします。¥300を寄付してくださることで、ウィキペディアは何年も繁栄し続けることができます。ほとんどの人が寄付してくださる理由はシンプルです。ウィキペディアが役に立つからです。ウィキペディアの情報に¥300 の価値があると思っていただけるのでしたら、ぜひ寄付をお寄せください。信頼できる、偏りのない情報を提供してくれるボランティアの方々に、ねぎらいの気持ちをお伝えください。どうぞよろしく願いいたします。】

僅かでしたが、地球上のインターネット利用する人々が、地球上の人々だけでなく、生物が生きていく上での知恵の共有だと考えたら、寄付をしようではありませんか。

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