人間万事塞翁が馬
2021.03.14





私は津井隆泉寺の総代会の会長をしています。
前任の会長が任期途中で急逝したために成り行き上なってしまったので、信仰心の薄い人間だからその器ではありません。
一年の締めくくりとして、総会というか事業の報告と会計報告をすることになりました。
人前であいさつなんて苦手ですから、総会の資料に文章で書いてみました。
書いていると宗教というのは哲学なんだなあと思うのです。
これまた哲学なんていうとそういうことを語れる柄じゃないとなりますが。

令和2年という年は、多くの人はこれまで生きてきた中で経験のしたことがない年だったかも知れません。
おととし(令和元年)秋ごろから新型コロナウィルスが広がりはじめ、さまざまなレベルで生活のリズムが変わってしまいました。新型コロナウィルス(疫病)だけではなく、危機に直面するのはいまに始まったことではありません。
寛永年間(1613-1650)は天候不順や異常気象など自然災害や社会的影響などで食糧不足に陥り、人々が飢えや苦しみで亡くなるなどから、寛永3年津井隆泉寺は 真言宗から法華宗に改宗しました。
宗旨替えという苦渋の選択をしたということは、それほど大変だったということでしょう。
尼崎の法華宗本興寺に借銀を申し出、同時に法華宗に改宗、法華僧から瓦製造法を伝授されたとされております。
それが日本の三大瓦産地という兵庫県を代表する地場産業にまでとなりました。
「人間万事塞翁が馬」という中国の故事があります。
(じんかんばんじさいおうがうま)と読む。
世の中は全てのことは、いろんなことがあっても成り行きの結果で、不幸なことがあったり幸になったりする喩えだよ。

老人の馬が逃げたので、気の毒がってなぐさめに行くと、残念がっている様子もなく「このことが幸福にならないとも限らないよ。」 しばらくして、逃げ出した馬が良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そのことのお祝いを言いに行くと、「このことが災いにならないとも限らないよ。」 こんどは老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまった。近所の人たちがなぐさめに行くと、「このことが幸福にならないとも限らないよ。」 近くの若者は戦争に駆り出され、多くの若者が死んでしまいましたが、老人の息子は負傷していたので、戦いに行かず無事でした。
長い人生では楽しい事や嬉しい事もあれば、辛い事や悲しい事もあるけれども、何が幸福で何が不幸かはわからない。

隆泉寺の宗旨替えしたという話と重ねて考えてみると、瓦製造技術の伝承が津井村の経済の基礎となったわけですが、よく働くことで村が繁栄してしたのでしょうから、コロナ禍のなかで明るい未来を待ちながら頑張って生きていきましょう。
法華経の宗祖日蓮聖人は今年2月16日にご降誕八百年を迎えました。本山本能寺では降誕八百年御報恩奉行が厳かに行われたことでしょう。
その法要に傘下の寺院では浄財勧進委嘱を請け、早い話上納というのが習わしなんです。
そういうものなんでしょうね。組織というのは。
なんとか組という反社組織と仕組みはおなじようなものですが、中身は人々の心を導くという違いですね。

「あまねくてらす」という言葉があります。
法華経がうまれる元となった天台宗を開らかれた最澄様のおことばだそうです。
あなたが光れば回りも光ります。そして世の中、社会を光らせましょう。

お教を唱え始めると眠たくなるので、困った会長なのですが、法華経には、すべての人々は仏になることができると説かれているそうです。
天台宗の高祖である天台大師や日本天台宗を開かれた宗祖伝教大師(最澄)ですが、多くの弟子を育てました。
法華宗は日蓮大聖人を宗祖としている仏教の1つの宗派です。日蓮大聖人は、飢餓や幕府と朝廷の権力争いで混乱を極めていた鎌倉時代に生きた人物で、たくさんの仏教宗派があるにもかかわらず乱れ続ける世の中を見て、当時の仏教の在り方に疑問を持っていました。そんな日蓮大聖人が本当に人々を救うことのできる教えとは何なのかを追求した結果生まれたのが、法華宗です。
法華宗の経典は妙法蓮華経で、「南無妙法蓮華経」を唱えます。

信仰心が薄い人間ですが、こうやっていろいろ考えを見ていると、お教は覚えられないけれど、哲学というのもよく判らないけれどナントナク・・・・・。

今年は丑年(干支)
2021.01.03

今年は丑年(干支)

私の母親の生家は馬喰(家畜商)でした。
※馬喰 (牛や馬の仲買商人。産地の農家から牛馬を買い取り、それを広く売りさばいたり、交換したりする。:Wikipedia)

私の生まれた津井というところは、瓦の産地(地場産業:淡路瓦-いぶし瓦:日本の屋根瓦三大産地のひとつ)です。
瓦を大阪へ船で運ぶ瓦船の荷積するために馬で運ぶ(小運搬用の馬力車)がひとつの職業としてありました。
その運搬用の馬の家畜商をしていたのが母親の生家でした。
添付している画像は、津井港です。
大阪港尻無川を上って瓦問屋のある市岡まで瓦を運んでいきます。
ダルマ船といわれる木造船です。
朝5時頃に津井港を出て午後3時頃に着いたと思う。
10時間ぐらいかかったのでしょう。海流による時間もあるので、その差はよくわからない。
荷卸して翌日に帰路になったのか忘れました。
着いてすぐに銭湯いったかと思う、生まれて初めての銭湯やったかなあ。

牛は農家の農耕用として飼っていました。
稲藁とか米や麦、小麦の脱穀の時に出るクズと藁などを混ぜて、田んぼへの畦道に生える草なども飼料として育てていました。
そして子牛を取るために種付けをするのが、いまの家畜医ですが、お医者さんで動物の医者だから命に関わる職業でも責任はあまりないのかも知れませんね。
その頃は、牛の鼻に輪っかを通す商売もあったようで、津井には(鼻抜き)といわれている家がありました。
ハナヌキで儲けて土建屋もやって、三原郡でも大きな土木業社となりました。
今ではその子孫が議員をされております(^o^)

私の母親の生家は、園田競馬場に競馬馬も走らせ、母親の兄は競馬馬の騎手にもなって競馬場の近くにも住んでいたという。
騎手をするぐらいだから、運動神経は素晴らしかったんだと思いますが、私はその血が受け継がれなかったのか走ることはまるっきしダメです。
そんなに世の中はうまくはいかないもんですよネ(^o^)
その騎手をしていた伯父さんの子は走ることは凄かったですよ。
母親の長女の孫もJリーガーで横浜のチームで活躍しているというし、私はどこかで拾ってきたの子なのかも(^^;

馬喰(博労)だったから馬も牛も飼っていたので、子供の頃は月に一度ぐらい、お婆さんに散髪をしてもらうために母親の生家に行きました。
そして帰りにはお婆ちゃんが、財布から小銭を嫁さんに分からないようにコソってくれました。
小学校の高学年になってもいつも十円でした(^o^)

私は、お金の額ではないけれどコソっとというのが嫌でした。
母親の兄(長兄)は従姉妹夫婦なので、お婆さんにとってヨメは姪なのですが、我が子の子(孫)にお小遣いをあげることに気遣いするという微妙なものを子供の頃に知りました。

家畜というものに子供の頃から見慣れていましたから、牛や馬が人懐っこいというのもよく知っていました。
牛や馬の目を見ていると、なんと優しい目をしているのかと思います。
いま私は烏骨鶏を飼っています。
烏骨鶏は漢方鳥ともいわれるぐらいです。人間は鳥が子孫を残すために卵を産むのに。横取りして食べる。
鳥肉も牛肉も柔らかくて美味しいとか勝手な理由を付けて食べる、人間というのは悪いもんですね。
霜降りがいいとか、この肉は固くて不味いとかいう人間、おお 私もその一人なのだ(^_/)

倍返し(^_^)
2020.09.22
烏骨鶏を飼いだして、自家製産の有精卵を孵化させながら60羽以上に増えました。
その中で実際毎日たまごを産んでくれたらビジネスになるのだが、世の中思っているようにことが運べば苦労はない。
人が生きていくのには、生きるためには食べるものが必要だ。
基本的には、食物を作ることに尽きる。
幸い南あわじ市は農業では、県下でもトップクラスだから、政治はそこに重きをおくことが正解でしょうねえ。
もちろん鳴門海峡を持つ水産もだよね。

私の本業は印刷業。だから食うためには本業に精を出すことでしょう。
まぁ、一過性かも知れないがコロナ騒動で大混乱。
ハシカなら3日ぐらいの高熱に耐えれば、復旧できるがコロナはそうはいかないようだ。
数年は覚悟しておかなければならないようだ、
ものづくりとかいうけれど、機械好きで機械の道に入ったけれど、こんな世界にきてしまったけれど、モノづくりの過程というか、一環の中に機械も印刷もある。
もちろん建設業もある。不正入札で生きるというのはいただけないが(!怒!)
官製なら尚イカン!

国、我が国だけでなく、世界を見て、いまの世界情勢に、人が生きていくことを考えたら、喧々諤々が幸せを見つけるための方法だろうか。
となりの人間に、季節が変わると「ナニ植えよるねん?」と声を掛けたりしながら生きている。
こっそり出し抜いて、優越感で人を見下げる生き方というか、ケンカ売りながらのリーダーがいる21世紀になってしまいましたね、

平和のための「倍返しだ!」😂
循環型の生き方(発酵飼料と農業・家畜育成)だなんてエエ格好言うな(^^;

起点・基準点という考え方
2020.09.06
地球46億年とも言います。
地球46億年の歴史と生命進化のストーリー
JAMSTEC(ジャムステック・海洋研究開発機構)

NHKスペシャル 地球大進化 46億年・人類への旅 1-6

yoiubeで見れます。(録画した)

海は44億年前に誕生したと考えられています。
高温でドロドロだった表面が2億年かけて冷え、水が存在できるまでになったことになります。
しかし海は44億年間ずっと存在していたわけではありません。
この頃、大きさ数キロメートルほどの天体「微惑星(びわくせい)」が頻繁に地球に衝突しており、その衝撃で海が何度も蒸発したと考えられます。
その後、海が安定して存在できるようなった38億年前頃、ついに生命が海の中で誕生したようです。

えーーー 今年私が生まれて75年、後期高齢者の仲間入りしました。
生まれて、いつかは寿命がきて死んだり、病気や事故で天寿を全うせずにこの世から消えていく。
それでも地球は生きている。
46億年前の地球誕生を起点とするのではなく、あの忌まわしい戦争が終わった時を「起点」とすれば
案外、時代の移り変わりが理解しやすい…
それでも46億年の年表では 「.」にもならない。

いま政治の世界でも、経済の中心になっている働き盛り(と見ているが・・・・)の方たちが、どのような眼で世の中を見ているのか気になっている。
たぶん今、世の中の労働人口の中心にいる人たちは、私らより20から30ぐらい下の年齢になるのでしょう。
日本のいい時代(高度成長期)に、楽しくて面白く生きてきた時代だと思います。
そういう平和が続く時代こそ、人間が生きていく社会が目指すところだと思います。

「方丈記」
行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

(^o^)
えーー お前が方丈記のことなんか言うなと・・・
よう見ていたら、私の回りには鴨長明のような方が何人もいます。
趣味に生き、静かに世の中を見渡しながら生きている。
羨ましい限りだ。

人生二毛作とかを持論にしているらしいが、南あわじ市の守本市長が
「理想の姿に向けてさらにやることがある」
と、再選に向けて立候補を表明したそうだ。

国政でも何も成果を上げていなかった安倍政権が終わりを告げて、国民はどうでもいいと無視しているのに、マスゴミが自民党総裁選挙を煽っている。
南あわじ市でも、3期12年続いた中田市政から、経産省の官僚が早期退職して、南あわじ市長に無投票当選して、四年経ったので再選を目指して次も市長をやりたいらしい。
田舎には人材不足(怒られるかなぁ)で、中央官僚上がりということで、期待はされている。

私は民間の零細事業者だから行政批判なんかするものでもないから、批評はしても言いたくても言わなかったと思う。ホントかぁ(^^;
職員や幹部職員の異常さには、直接文章を送ったりして顰蹙をかっているかも知れません。
異常なことを可怪しいんちゃう? そういう感情は批判されるものでもないから、それに反論があれば言うてこい(^o^)

いろんなことを見て、可怪しいのちゃうの という考え方がおかしい?
基本。基準点がようわからんようになってきたのかも(^_^)


人間を野蛮系と温厚系に分けてもいいのかも
2020.03.21
人間を文系か理数系かと分けたがるけれど、物事をそんなふうに見ることが理解できない。でも洞察力があるとかないとか、自分を除けておいて、他人を品評する眼が自分にあるという考えの人もいるから、ややこしくなる。
私の子供の頃は、大家(おおや)とか小家(こいえ)はあって、大方は社会全体が貧しかった。友達に代々というかお爺さんも父親も村長の家の息子(おおやの子)がいたけれど、一人っ子だったのでよく悪さに一緒に連れ回しました。おぼっちゃんで賢いし走るのも速かった。高校生か中学生だったか忘れたかの四百か八百の全淡記録は長い間破られなかった。

一人っ子だったので、私等のような貧乏人は彼には面白い人種だったのかも知れないが、コチラもアチラも同じ土俵の仲間という考え方だから、社会人になって仕事はちがっていても、偶に一緒に酒を飲みました。
私が帰省したと同じ頃に、県職から役場出向したかたちで再会してまたよく飲んだ。仕事上で会うことが多かったが、中学の同級生が今度は家族どおしでも飲んだり遊んだりした。いずれは町長になるだろうと誰もが思っていたけれど、意志が弱かったのか、自己管理ができなかったのか糖尿病で若死にしました。
故郷を離れた中学生の頃の同級生とは、年に一回「七夕会」という同窓会を大阪でやって、三十何年間つづいている。
震災の年から2年ぐらい途切れたけれど、今でも続いている。
地下鉄ナンバ駅を上がったところの「新歌舞伎座」の前で正午に待ち合わせだが、何年か前から新歌舞伎座は移転して、新歌舞伎座は昨年にベルコ系のホテルになったということをニュース知った。

ベルコというのは多分「玉姫殿」などを運営している冠婚葬祭の事業所だったと思う。とにかく自由主義というか資本主義系の国も共産主義国家だろうと、お金が中心に社会が動いていることは誰もが認めている。
今日のNHK「ファミリーヒストリー」は古舘伊知郎だった。
物語は、お爺さんの前の時代からはじまり、馬喰だったというから私の母親の生家も馬喰だったからますます見入ってしまった。
戦前は朝鮮や中国には、一旗揚げようと夢を求めて行ったんですねえ。
私の父親の兄も、満州に渡り馬賊になるのだと出ていった(馬賊というのは作り話だと思うが)、国と国とが行き来できるいい時代だったのが判ります。

日本の総理大臣や米国の大統領のような、喧々諤々の生き方は不幸へこそ向かうが、皆が幸せになるという考え方には向かわない。


今回のコロナウィルス騒動で判ったことは、隣の国だけでなく隣接する県にさえ往来を規制しようとするのだから、人の交流が経済活動にどれだけ影響があるのかを知らしめたのである。
コロナウィルスで株式市場はエライことになりにけり、で年金のお金を投資していたのが大損だったというニュース。
政治家にまかせて、博打で儲けてくれるくれるなんてバカな選挙民だと世界中から笑われているのに、政治批判をする人間を悪者のように見る。

ほんとうに困った国民でありますね。





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