敵の敵は味方という故事
2019.01.09
もともとは殺したり殺されたり、征服したり征服されたりしまくっていた古代に生まれた諺だそうだ。
「みかた」は天皇の側を意味した語で、みかたの「み」は古くは「御方」と表記されていたんだそうだ。
そういう時代に、「敵」「味方」どちらに付くか自分で判断できるものではないだろうけれど、民主主義といわれる時代のニッポンなのに、権力にすり寄る屁みたいな生き方をする人間が多い。

出物腫はれ物ところ嫌きらわずは、まさに「屁」なのだ。
自分が感じたことを書いたり発言するのがジャーナリズムというものだろう。

東京財団週末学校はいいサイトだねえ。
住民・行政・議会、三者の関係から自治を考える
屁や出来モノみたいなアベが出任せのウソ八百を並べながら、6年間の政治(ウソとハッタリ)に綻びが丸わかりになってきた(忖度政治)という情けないと同じだったのに、わが市には軌道修正して目覚めるようとする政治の羅針盤が無いようだ。

「出物腫れ物時知らず」“屁”政治がまだまだ続いているのだろうか。
出物腫れ物の毒舌のつもり(一石)なのに、一石が“屁”になるというケッタイな田舎政治だ。
若者が逃げていくのが理解できるけれど、それでいいのだろうかねえ?
一区した人間(仕事が一区切り)とか、本業を一区したり行き詰まった人間が政治をする世の中である。

あーぁ! イヤになっちゃったぁ 驚いた。

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