今年は丑年(干支)
2021.01.03

今年は丑年(干支)

私の母親の生家は馬喰(家畜商)でした。
※馬喰 (牛や馬の仲買商人。産地の農家から牛馬を買い取り、それを広く売りさばいたり、交換したりする。:Wikipedia)

私の生まれた津井というところは、瓦の産地(地場産業:淡路瓦-いぶし瓦:日本の屋根瓦三大産地のひとつ)です。
瓦を大阪へ船で運ぶ瓦船の荷積するために馬で運ぶ(小運搬用の馬力車)がひとつの職業としてありました。
その運搬用の馬の家畜商をしていたのが母親の生家でした。
添付している画像は、津井港です。
大阪港尻無川を上って瓦問屋のある市岡まで瓦を運んでいきます。
ダルマ船といわれる木造船です。
朝5時頃に津井港を出て午後3時頃に着いたと思う。
10時間ぐらいかかったのでしょう。海流による時間もあるので、その差はよくわからない。
荷卸して翌日に帰路になったのか忘れました。
着いてすぐに銭湯いったかと思う、生まれて初めての銭湯やったかなあ。

牛は農家の農耕用として飼っていました。
稲藁とか米や麦、小麦の脱穀の時に出るクズと藁などを混ぜて、田んぼへの畦道に生える草なども飼料として育てていました。
そして子牛を取るために種付けをするのが、いまの家畜医ですが、お医者さんで動物の医者だから命に関わる職業でも責任はあまりないのかも知れませんね。
その頃は、牛の鼻に輪っかを通す商売もあったようで、津井には(鼻抜き)といわれている家がありました。
ハナヌキで儲けて土建屋もやって、三原郡でも大きな土木業社となりました。
今ではその子孫が議員をされております(^o^)

私の母親の生家は、園田競馬場に競馬馬も走らせ、母親の兄は競馬馬の騎手にもなって競馬場の近くにも住んでいたという。
騎手をするぐらいだから、運動神経は素晴らしかったんだと思いますが、私はその血が受け継がれなかったのか走ることはまるっきしダメです。
そんなに世の中はうまくはいかないもんですよネ(^o^)
その騎手をしていた伯父さんの子は走ることは凄かったですよ。
母親の長女の孫もJリーガーで横浜のチームで活躍しているというし、私はどこかで拾ってきたの子なのかも(^^;

馬喰(博労)だったから馬も牛も飼っていたので、子供の頃は月に一度ぐらい、お婆さんに散髪をしてもらうために母親の生家に行きました。
そして帰りにはお婆ちゃんが、財布から小銭を嫁さんに分からないようにコソってくれました。
小学校の高学年になってもいつも十円でした(^o^)

私は、お金の額ではないけれどコソっとというのが嫌でした。
母親の兄(長兄)は従姉妹夫婦なので、お婆さんにとってヨメは姪なのですが、我が子の子(孫)にお小遣いをあげることに気遣いするという微妙なものを子供の頃に知りました。

家畜というものに子供の頃から見慣れていましたから、牛や馬が人懐っこいというのもよく知っていました。
牛や馬の目を見ていると、なんと優しい目をしているのかと思います。
いま私は烏骨鶏を飼っています。
烏骨鶏は漢方鳥ともいわれるぐらいです。人間は鳥が子孫を残すために卵を産むのに。横取りして食べる。
鳥肉も牛肉も柔らかくて美味しいとか勝手な理由を付けて食べる、人間というのは悪いもんですね。
霜降りがいいとか、この肉は固くて不味いとかいう人間、おお 私もその一人なのだ(^_/)





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