社会性ということ
2018.11.05
最近いろんなところで社会性ということについて考えるようになりました。
そんな心理学のような難しいことを田舎の爺が考えることではないかも知れないが、社会性というのはどんなことなのかと・・・

勉強(学校の授業)では優秀であっても、社会に適合しているのかどうかはわからない。
先日、日本シリーズが行われましたが、どの選手を見ても素晴らしい能力がありその役割を果たして、野球の歴史に名勝負として刻まれるものでした。
それぞれの選手がその役割を果たそうとして画面に登場してくると、日本一を争うこと。そして優勝という名誉を手にすることに誇りを持っているのが顔の表情から見て取れました。
これまでの日本シリーズはどれも歴史に残るものですが、そこに見えるのはスポーツという特殊な社会ですが、監督も選手もコーチ陣も一丸となって戦っていますが、野球だけではなく人間としてのルールを持ち備えているかが社会性と繋がっていくのでしょう。
選手生活にも年齢とともに限界があって、引退というものでグラウンドから消えていくことになりますが、野球界から遠ざかっていく人があったり、解説などで再びファンの前に登場することもあります。
また、名選手が必ずしも名解説者となるとは限りません。
しかし名解説者が今度は監督となって、素晴らしい指揮官となって日本シリーズに歴史を作っていく方もたくさんおります。

野球にはルールがあって、そのルールの中で戦っていくわけですが、それがゲーム機メーカーのプログラマーが考えているような展開ばかりではなく、その複雑さが面白いから野球ファンが他のスポーツに移っていかないのかも知れませんね。
あれ?
社会性のことについて書いていたつもりがまた横道にソレてしまいました。
簡単にいうと、社会性があるというのはその場の空気を読んで適応できることなのかも知れません。
私が田舎へ帰ってきて、時々考えるのは「社会性」というのは何かと・・・
学生生活というずっと子供の頃から環境が変わらない社会の中で育って、社会に出て仕事をするようになってもそのままの社会で過ごしていると、土俵の違いが出てくるのですが、それはそれで構わないのだけれど、知らぬ間に社会はグローバル化していき、ルールが世界ルールというか邑社会ではなくなっているのに、それに気が付かないでいる人もいるようです。
それでも構わないのだといえば、それがいけないのだと議論しても、その議論の勝ち負けの結果が世界ルールから見て正しいのかどうかを解からせるところに難しさがあります。
解らせるなんて大きなお世話じゃ、そうですよね。

このことを色の表現を言葉で表すと解り良いのかも知れません。
私の子供の頃母親がよく「トキ色」という言葉を使っていました。
あの頃は当たり前の色表現でしたが、今の若い人に「トキ色」という言葉を使えばそれ何やのとけげんな言葉が帰ってきそうです。
トキという絶滅危惧種の「トキ」の顔の色が赤い朱色なので、どこにでも見かけたトキという鳥の色を使っていたのでしょうね。
トキ色という表現が社会の中で認定されれば、トキ色という言葉を使えるのですがそうならなかったのですね。
そこで社会性がある、社会に順応できるというのを考えたとき、社会人になって会社に入って、多くの世の中を見たり組織の中の仕組みの中で揉まれながら、社会性が育ったり順応していくのでしょう。
社会性があるなしでお金が稼げるというのではないから、なかなか議論が難しいのですよね。
アラブの国でジャーナリストが殺されたり、トランプやアベがまともかどうかを論じられれば、経済力があるというから威張っているだけで、未開の土地で三世代四世代が苦しい中で一生を過ごしていく方がまともなのかも知れません。
社会性とは何か、人間は生きている中でその環境の中で生き方が変化していくようだ。
心理学の分野でしょうが、育っていく過程の中で発達障害などというものもあるらしい。
ボランティアという考え方は新しいもののように見る人もいるけれど、昔は貧しい家の子や事情がある子供を養子にして、その子が社会に貢献する大人になったなど、社会性をどのように見るか、そういう方向で真剣に考えなければならないときにきているのかも知れません。
トランプやアベは発達障害なのかも知れませんぞっ! (^_^)

2018.11.05 06:08 | 固定リンク | | コメント (0)




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