次の一手
2019.05.24
私の住んでいる南あわじ市(旧西淡町)は日本の屋根瓦の三大産地として有名な町です。そういう中で開業して48年になります。
瓦城下町といわれるぐらい地域経済を支えていましたが、阪神淡路大震災からその瓦産業の落ち込みは酷く、下り坂を転がり落ちる状況であります。
戦後の混乱期から高度成長期を経て、バブル時代の終焉に続き、大震災の影響から立ち直れない状況であり、そのうちに・・・・と思っていると気がつけば「茹でカエル」状態にあります。
勝手にはじめたけれど、この仕事(印刷業)はいつの間にか地域社会のシステムのひとつになっている。ハイ廃業しますという簡単なことが出来ないので続けていかなければなりません。
資本主義社会はとにかくお金がなければ生きていけないけれど、このような状況下で印刷の仕事だけで乗り切れない。
それでは何をするかはそう簡単に答えは出てこない。

第二の創業
日本中を巻き込んだ平成の大合併は、町村部を「店じまい」して、一極集中するのが狙いだったのだが、右肩上がりを経験しているものだから、商工業者にとっては黒船到来のように思っていたのでしょう。
成熟した社会になった次の手を考えていくのが政治なのだが、携わっている者たちには公僕という考えはなく、とにかく自分たちの分だけは除けておいて、その中から集めた税金を還元していこうというのだから、政治に擦り寄る輩ばかりで経済がよくなる筈がない。
経済が萎んでいくと、教育問題をはじめ地域社会(少子高齢化)は先の見えないところに置かれているのに、統廃合するぐらいしか能のない施策が続いている。
市政方針などでは地域の商工業の育成等、行政施策の目指すところだと能書きは立派ですが、南あわじ市発足以来わが印刷業者へは同じ仕様の見積依頼の繰り返しで、下げれば取れる、下げて下げて下がりっぱなしなのであります。人間の心理というものは悲しいもので、競争入札であると何故か過剰反応をしてしまうものです。そのことを利用して競争原理があるのですが、安ければ良いという考え方と「住みよい街づくり」「豊かな社会」を考えていくというのは相反するものと思っています。
村のお店や鍛冶屋のようなところがお得意さんの商売は印刷屋だけでなく、米屋や酒屋も村から消えていきました。
印刷業は、情報産業の推進者として地域社会の発展と経済文化に貢献する、社会的使命を持った事業なんだと言ってはみても、寝ぼけたことを言うなと一笑されてしまいます。

それじゃ、何をしようか・・・・・

モノを見る目
2019.05.15
秋の夜長という言葉があるけれど、眠れない春の夜というのを造語した(^o^)

人間は生まれたときは未知だけれどエネルギーを持っていた。
誕生日を繰り返すうちに、人間社会でしかないと思うが人生に区切りのイベントがある。
入学式とか卒業式、成人式や初老、還暦、古希など漢字文化だから科学的と結びけるには、それなりの説明(言い訳)がある。
しかし自然の摂理だからよく判らないけれど体感から納得してしまう。

死なない、いつまでも生き続けていくと地球にとっては迷惑なのであります。
少しずつ入れ替えしながら宇宙のひとつの星が存在している。
それが地球という☆なので、地球から夜空を見上げていると見える☆とおなじなのということ。

高齢者の交通事故犯人説が話題だ。
文明が進んで、機械文明の恩恵があるから老人でも広い世界を見るだけでなく現場に踏み込めることが出来るいい時代なのであります。
自動車という移動手段の発達は、人の好奇心を増幅させて老人をイキイキさせるところもあって、自動車と老人の組み合わせをいけないとする考え方に異論がある。

車の暴走事故がニュースになり子供や幼児が犠牲となり、加害者が高齢者や若者の場合はマスコミがニュースネタとてして報道する。チャンネルを変えても皆おなじニュースを流すということは、ニュースの本質をみないで他局の受け売りをしているだけ。
取材記者を現場にいかせているけれど、行っているだけ〜〜(^o^)
そこで記者が「オートマチック車に問題がある。」などと言ったら、私は工学者ではないから説得力はないが、このような事故が半減すると思っています。日本という国は自動車産業が大きく国を支えている。民放はCMの大口スポンサーであるから言えない。
命の大切さを考えるならば、問題点を指摘してオートマチック車の構造(構成)を変えさせれば良いと思うのであります。

マニュアル車(クラッチでロー、セカンド・・・・バックなど切替)と同じようにアクセルとブレーキペダルが右足で操作する設計である。
アクセルとブレーキというのは進むと止まるという相反するものが隣通しになっているからである。現在の自動車免許取得にはオートマチックとマニュアルの2つがあって選択できるそうだ。
だから自動車の構造としても2つの別物としておくべきだから、これは設計段階に問題があると言っていい。しかし、自動車業界にイチャモンつけたら政治家だけでなく学者もクビが飛ぶのでしょう。
だから高齢者運転に問題があるとしておけば無難なのだろう。生活環境に自家用車がなければならない人たちがどんどん増える政治なのと矛盾する。
一極集中政治は限界集落を増やしながら日本中を壊し、地方に住む人々をも消していくのである。
法華宗同末大法要(淡路)
2019.04.14
同末大法要
今から二百五十八年前に(宝歴九年)に「淡路国同末法事法則」が作られ延々と続けられています。
(北山)聖楽院、(尾崎)本門寺、(田尻)立正寺、(石田)本園寺、(釜口)妙勝寺、(柳沢)勝願寺、(桃川)地勝寺、(津井)隆泉寺、(片田)妙泉寺、(洲本)本妙寺、(山田原)眞浄寺、(中田)妙安寺、(本町)西光寺の14寺が輪番制で行なっている。

今年の同末大法要は北山聖楽院が当番でした。
隆泉寺から総代会の役員3人で法華宗淡路教区檀信徒会総会に出席しました。
聖楽院のご本尊は鬼子母神を祀ってあるらしく、ネットには観光情報として出ております。
そこで鬼子母神とはどういう神様なのだろうかと調べてみたくなりました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。

鬼子母神
その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城の夜叉神の娘で、嫁ついで多くの子供を産みました。・・・(ウィキペディア)
その性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。

鬼子母神とは何なのかという疑問があったけれど、守護神なのに元はそういう鬼女だったとは。
国家・民族・家・個人・職業・寺院などを守るとされる守護神、わからんものですねえ。





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