雑感 限界集落
2019.07.04
年をとってくると寝付きが悪く、早寝したときには3時間か4時間ぐらいで目が覚める。
若いときにはすることがあったけれど(^_^)、年寄りにはやることがない。
だから妙な瞑想のようなことが頭の中を走り抜ける。

田舎が元気だった頃は、その家には跡取りを残すことはルールではないけれど、社会の仕組みとして当たり前になっていた。
あの忌まわしい戦争が終わって、焼け野原になってしまったことで復興というシステムが取り入れられた。
「無」から「有」を作り出すと言ったって、忍術のような方法「技術開発=モノづくり技術」として自動車産業や家電事業だったのかも知れない。

終戦の年に生まれたので、庄屋クラスの家でも贅沢な暮らしはままならなかった。
私の同級生で、おじいさんもお父さんも村長だった人間がいた。
彼は中距離走では中学卒業してからでも、十?年間全淡か三原郡だったかの記録が破られなかった。大学を出て民間企業に入ったけれど、郷里に帰って公務員になっていました。
大阪にいた頃時々一緒に飲んだことがあるけれど、若死にしてしまいました。
いつかは村長の孫だから、そうなっていくだろうと誰もが思っていた。
名門の家の子はそれなりにプレッシャーもあったのだろう。

国策ではないかも知れないが、地域から優秀な人材を集めて高度成長して世界第二の経済大国といわれるほどまでになったけれど、平家物語である(^o^)
焼け野原状態からの復興に、国は中央集権を補完するために超一級の大卒を入れて、愛国心の政治家と優秀な官僚とで高度成長したのであります。
まぁそれが地域からは人材が流出してしまうことになったけれど、高度成長は地方にも富をもたらしたから、兄弟の中で高等教育を受けた者は都市住民となり、残った「跡継ぎ」(かなら長男ばかりでない)が地域社会を切り盛りしました。
高度成長によって国も栄えたので、人的に貢献した地方には、都市住民からあたかも償い(地方交付税等)があって日本国中経済的には潤っていきました。

ところがですよ、都市住民は地方への「仕送り」ができなくなり、平成の大合併となったのです。原因は権力を勘違いして腐敗していったから。
「頭脳」と「エンジン」を持たない地方、そんな言い方をすれば非難が集中しますが、今の政治をみれば「忖度」することが無脳の証明でしょう。
まぁどっちもどっちというところでしょうねえ。
「わがまち」の個性とは、大昔のことだけれど、天地変動による飢饉によって宗旨替(真言宗→法華宗)が瓦製造技術の伝授、そのことが地域経済への貢献となって、その恩恵を地域全体に及ぼしたのである。
ところが地球の活動期に入るや度重なる大震災、ニュース報道はあたかも瓦が悪いとなっている。日本の技術は凄いのに、屋根にあんな重たいものを乗せるからという単細胞なアタマでモノを言う。単細胞同士の判断行動なのである。
瓦師でなければ人間でないというような時代もあったけれど、瓦城下町だったのに地震は落城したかのように限界集落になってしまった典型の村に。
単一商品で成長した企業と同じで、ニーズが変われば転げ落ちるようになった少子高齢化の典型的な地域だ。
廃校になった小学校跡地をどうするか、行政は「福祉の里」などと聞こえのいい名前をつけているけれど、一億円に近い補助金をくれてやったのに開業が遅れ、何とかオープンしたようだが、綺麗な建物なんけれど静かだ、施設としてはそれも良いことなのだが・・・・。
500戸もある集落だから、無医村ではいけないので国保診療所としてあったが、赴任してきた医師が民間診療所に譲り受けたのが60年ぐらい前、その医師が横浜で開業するとなって、次の診療所に受け継がれ地域医療に貢献してきたけれど、医師も人の子だから、一年経ったら1歳としをとる。もう限界だと閉院した。
小学校前にあった診療所だから、本当に惜しい。
「福祉の里」の大元は四国の医業。
介護ビジネスで全国展開する事業者が多いが、「医」は「算術」というのを地でいってもらっては困る。
地域医療を考えるのは政治だろう。

日本には「赤ひげ」はいくらでもいるのに・・・・(怒)

windowsで良いのか?
2019.06.26

windows7の延長サポートが2020年1月14日までだそうだ。
だからwindows10への移行を薦めるというのだ。
Windowsからの呪縛に右往左往する滑稽さは相変わらずだ。

個人情報は個人の氏名や住所、電話番号のみでなくプライベートな写真や動画、仕事のデータ、家族や友人・知人の連絡先などその情報はさまざまです。
コンピューターの便利さは解るけれど、いっそのこと使わなければ個人情報漏洩の危険なんてない。
携帯電話の便利さはいろいろあるけれど、電話で相手と話ができるだけで満足だというのと同じだ。

使う者と使わない人との差はあるのかないのか?
新しい技術だと言いながら、有料で技術を売って稼いだり、技術を使かわせることでお金儲けするのではなく、技術の組み合わせでサービスを稼ぐシステムとする現代のビジネス。

新しい技術、考え方はソフトウェアや周辺機器の進展に繋がっていく。
それらを追っかけていくことで、経済が動くというのもアリかナシか。
貧乏な私はリナックスに向かうことになっています。
根本的にはGNUの精神にあるので、新しい技術でお金儲けしようというのではなく、その技術を皆で利用して幸せな世の中を作っていこうとする考え方なのです。
いまどんどん進化を続けているウブンツ(ubuntu19.01)は、今年の10月には更に強固なものになるでしょう。

windowsなんて・・・・

次の一手
2019.05.24
私の住んでいる南あわじ市(旧西淡町)は日本の屋根瓦の三大産地として有名な町です。そういう中で開業して48年になります。
瓦城下町といわれるぐらい地域経済を支えていましたが、阪神淡路大震災からその瓦産業の落ち込みは酷く、下り坂を転がり落ちる状況であります。
戦後の混乱期から高度成長期を経て、バブル時代の終焉に続き、大震災の影響から立ち直れない状況であり、そのうちに・・・・と思っていると気がつけば「茹でカエル」状態にあります。
勝手にはじめたけれど、この仕事(印刷業)はいつの間にか地域社会のシステムのひとつになっている。ハイ廃業しますという簡単なことが出来ないので続けていかなければなりません。
資本主義社会はとにかくお金がなければ生きていけないけれど、このような状況下で印刷の仕事だけで乗り切れない。
それでは何をするかはそう簡単に答えは出てこない。

第二の創業
日本中を巻き込んだ平成の大合併は、町村部を「店じまい」して、一極集中するのが狙いだったのだが、右肩上がりを経験しているものだから、商工業者にとっては黒船到来のように思っていたのでしょう。
成熟した社会になった次の手を考えていくのが政治なのだが、携わっている者たちには公僕という考えはなく、とにかく自分たちの分だけは除けておいて、その中から集めた税金を還元していこうというのだから、政治に擦り寄る輩ばかりで経済がよくなる筈がない。
経済が萎んでいくと、教育問題をはじめ地域社会(少子高齢化)は先の見えないところに置かれているのに、統廃合するぐらいしか能のない施策が続いている。
市政方針などでは地域の商工業の育成等、行政施策の目指すところだと能書きは立派ですが、南あわじ市発足以来わが印刷業者へは同じ仕様の見積依頼の繰り返しで、下げれば取れる、下げて下げて下がりっぱなしなのであります。人間の心理というものは悲しいもので、競争入札であると何故か過剰反応をしてしまうものです。そのことを利用して競争原理があるのですが、安ければ良いという考え方と「住みよい街づくり」「豊かな社会」を考えていくというのは相反するものと思っています。
村のお店や鍛冶屋のようなところがお得意さんの商売は印刷屋だけでなく、米屋や酒屋も村から消えていきました。
印刷業は、情報産業の推進者として地域社会の発展と経済文化に貢献する、社会的使命を持った事業なんだと言ってはみても、寝ぼけたことを言うなと一笑されてしまいます。

それじゃ、何をしようか・・・・・

モノを見る目
2019.05.15
秋の夜長という言葉があるけれど、眠れない春の夜というのを造語した(^o^)

人間は生まれたときは未知だけれどエネルギーを持っていた。
誕生日を繰り返すうちに、人間社会でしかないと思うが人生に区切りのイベントがある。
入学式とか卒業式、成人式や初老、還暦、古希など漢字文化だから科学的と結びけるには、それなりの説明(言い訳)がある。
しかし自然の摂理だからよく判らないけれど体感から納得してしまう。

死なない、いつまでも生き続けていくと地球にとっては迷惑なのであります。
少しずつ入れ替えしながら宇宙のひとつの星が存在している。
それが地球という☆なので、地球から夜空を見上げていると見える☆とおなじなのということ。

高齢者の交通事故犯人説が話題だ。
文明が進んで、機械文明の恩恵があるから老人でも広い世界を見るだけでなく現場に踏み込めることが出来るいい時代なのであります。
自動車という移動手段の発達は、人の好奇心を増幅させて老人をイキイキさせるところもあって、自動車と老人の組み合わせをいけないとする考え方に異論がある。

車の暴走事故がニュースになり子供や幼児が犠牲となり、加害者が高齢者や若者の場合はマスコミがニュースネタとてして報道する。チャンネルを変えても皆おなじニュースを流すということは、ニュースの本質をみないで他局の受け売りをしているだけ。
取材記者を現場にいかせているけれど、行っているだけ〜〜(^o^)
そこで記者が「オートマチック車に問題がある。」などと言ったら、私は工学者ではないから説得力はないが、このような事故が半減すると思っています。日本という国は自動車産業が大きく国を支えている。民放はCMの大口スポンサーであるから言えない。
命の大切さを考えるならば、問題点を指摘してオートマチック車の構造(構成)を変えさせれば良いと思うのであります。

マニュアル車(クラッチでロー、セカンド・・・・バックなど切替)と同じようにアクセルとブレーキペダルが右足で操作する設計である。
アクセルとブレーキというのは進むと止まるという相反するものが隣通しになっているからである。現在の自動車免許取得にはオートマチックとマニュアルの2つがあって選択できるそうだ。
だから自動車の構造としても2つの別物としておくべきだから、これは設計段階に問題があると言っていい。しかし、自動車業界にイチャモンつけたら政治家だけでなく学者もクビが飛ぶのでしょう。
だから高齢者運転に問題があるとしておけば無難なのだろう。生活環境に自家用車がなければならない人たちがどんどん増える政治なのと矛盾する。
一極集中政治は限界集落を増やしながら日本中を壊し、地方に住む人々をも消していくのである。
チキンレース
2019.05.11
相手の車や障害物に向かい合って、衝突寸前まで車を走らせ、先によけたほうを臆病者とするレースのことだが、ジェームズ・ディーンの「理由なき犯行」という映画は、ちょうど高校生になって津井というド田舎から淡路の中心地洲本へ毎日電車で通うという私にとっては大変革の頃でした。
洲本へ毎日通学するというのは、いまなら毎日梅田や難波へ通うようなものに近いものであります。

現在は高速バスが何本もあるし、運営会社も淡路交通だけでなく乗り入れている会社もたくさんあるので、比べるには適当でないかも知れないが、その頃の洲本といえば東洋一の紡績工場(鐘紡)があって、映画館が4つもあったのです。
映画と小説は思春期の心と体の相談室ではないけれど、おなじ境遇の同志が見えたというのかも知れません。
ほんとうは親は子供の成長をハラハラしながら見ているのでしょうが、そういう時期は誰も解決法はなく、暴走しないかを見ているしかなかったのでしょう。
そういう意味で、私の成長期には両親は当然のことですが、良い先生方に見守られながら過ごしたんだなあと今になって感じています。

理由なき反抗という映画は、孤独と不安と怒りの青年から大人になる誰もが経験することだと思うが(今だからそう言える)、一人前の人間ではないくせに、大人ぶった意見や意志表示して家の中でも親と衝突したり、学校では校則に背いて、それを破る行動をしてしまう。
なんで「長髪」がいけないのだ、靴は「白い運動靴」でなければいけないのか、などと闘争心をむき出しにする。
そんな行動だけなら、今でも大人やマスコミは理解があったり応援もしてくれるだろう。
まぁ、大人のような考えもあるけれど、一貫していないのが未熟なところなんですね。
学期内には中間考査と期末考査があって、義務教育でないので単位が取れなくては進級できない。
試験前には授業は午前中だけ、そういうのがチャンス到来なので不良少年は友達の家でマージャン(^o^)
大学への進学などということが入った目的ではない実業高校なのだ(^_^)
しかし、単位が取れなかったら1年生から2年生、3年生なら卒業できなくて留年することになる。
私の高校生時代には他の科だったけれど進級できなくて1年生を再度やった人間もいました。

考えてみたら、留年してもやめないで行った奴もある意味凄いと思う。
人生は長い山道を重たいものを担いで歩いていくようなもの。成功者のようにもて囃されている人はいるけれど、それはいま歩いている途中の姿なのだろうが、チキンレースやギリギリの切羽詰まった経験を積んできた人たちと、トドの詰まりになって強さを発揮できるのはどちらなんだろうかねえ。

相手を屈服させようとして、互いに強引な手段をとりあう争いがいまアメリカと中国という世界の双璧でチキンゲームが行われている。
ジェームズ・ディーンという俳優は24歳で交通事故で死んだ。
「エデンの東」、「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」これらの名作はいつ見ても心が騒ぐ。

それにしても、トランプと習近平の不良青年もどきのチキンレース。
こういう人間が世界のリーダーとはなぁ(怒)





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